こんにちは、毛糸です。
先日、会計士の方がTwitterでこういった趣旨の発言をしていらっしゃいました。
「去年はこうでした」は通用しない。1年前と何も変わっていないと思っているのか。
このつぶやきに関して、私はこうツイートしました。
去年はこうだった、というのは個人的には間違った考え方ではないと思うんですよね。去年が○で、今年も前提と手続きが変わっていなければ、今年も○と判断して良いはずなので。論点は「前提が変わっていないか?」という点であって、前例踏襲が悪いわけではない。
— 毛糸=会計士×ファイナンス×IT (@keito_oz) 2019年5月8日
今回は「去年はこうだった」という発言が通用するための条件について考えてみたいと思います。
前例踏襲は悪いことか?
「去年はこうだった」という発言の趣旨は、「去年はこういう手順で仕事をして、特に問題にならなかった。今年も同じようにやっているのだから、問題ないはずだ」ということでしょう。
この「去年はこうだった」という考え方、前例踏襲の姿勢というのは、個人的には間違った考え方ではないと思います。
なぜなら、去年の作業結果が妥当で、今年も去年と同じ前提と手続きを踏襲しているのなら、今年も同様の結果になる蓋然性が高いからです。
もし、去年の作業内容と結果を完全に忘れ去り、毎年「スクラップ・アンド・ビルド」でゼロから作業を組み立て、結論を導くようなやり方をしていたら、同じ作業と判断を毎年繰り返すことになり、非効率です。
同じ手続き、同じ判断を繰り返したところで大きな意味はなく、単純に手間が増えるだけですから、既に得た結論(去年はこうだった)に依拠できるならしたほうが、負担が少なくて済みます。
疑うことのコスト
前例踏襲は、最近よく目にする「疑うことはコスト」にも通じる考え方です。
「疑うことはコスト」というのはGoogleに浸透している価値観であるとされ、現代のビジネスマンのあり方に指針を与えてくれる良書『どこでも誰とでも働ける――12の会社で学んだ“これから”の仕事と転職のルール』のなかで「ハイパー性善説」として紹介されている考え方です。
変化の激しい現代において、人を疑いスピード感を害するのは、大きな損失になりえます。
今回の「去年はこうだった」に関しても、去年の手続きと結果をいちいち疑うことで、追加的な負担が生じます。
毎回前年の結論を疑ってかかるのはコストがかかり、効果も大きくないでしょう。
むしろ、毎期踏襲しても問題が出ないように、しっかり作り込んで確実に引き継ぐべきで、私がコンサルを行っている大企業の経理では、そういう仕事の仕方をしています。
「去年はこうでした」が通用するための条件
「去年はこうでした」という前例踏襲のマインドは、同じ作業を繰り返すことを回避し、仕事を効率化するために一役買っています。
しかし、どんな場合でもこうした考え方が通用するわけではありません。
「去年はこうでした」が通用するための条件、それは、
去年と比べて作業の前提や手順に変更がない
ということです。
「去年はこうでした」というのは、去年と今年とで作業が同じならば結論も同じである、という仮説に基づいた判断です。
この判断が妥当であるためには、去年と今年の作業の前提条件が同じである必要があります。
去年と今年とで作業環境が様変わりしているなら、同じ手続きをとったとしても、同じ判断が行えるとは限りません。
したがって、「去年はこうでした」が通用するためには、「去年から前提に大きな変更はない」ということをきちんと確かめる必要があるのです。
冒頭の会計士さんも、「去年はこうでした」は変化の激しい状況においては通用しない、だから言ってはいけないのだ、という主張であると推察します。
前提が変わっていないかどうかをきちんと判定した上で、前例踏襲を行う分には、大きな問題は発生しないのではないかと思います。
前提の変化は、業務に組み込まれた仕組み(内部統制)でクリアできる問題ですので、安易に「去年はこうでした」と言わせないためのルールや仕組みをきちんと整えたいものです。
まとめ
「去年はこうでした」という前例踏襲は、仕事の無駄を省き効率化するのに役立ちます。
「疑うことはコスト」という考えにも通じるものがありますが、いつも妥当であるとは限りません。
「去年はこうでした」という主張が通用するためには、去年から前提に大きな変更がないことを、きちんと確認する必要があります。