書評『Algebraic Models for Accounting Systems』複式簿記と会計システムの代数構造を解明する

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Algebraic Models for Accounting Systems

この記事は,複式簿記と会計システムの構造を代数的に解明する研究書『Algebraic Models for Accounting Systems』の書評です。

複式簿記の美しさや規則性の背後には,代数的な構造が見いだせます。本書はそんな複式簿記にもとづく会計システムの諸性質を証明によって明らかにするチャレンジングなテキストです。

この記事ではテキストの概要を述べたあと,章ごとに内容をまとめます。



どんな本か(本書の目的)

『Algebraic Models for Accounting Systems』は,複式簿記に基づく会計システムを数学的に定義し,その性質を証明によって明らかにする研究書です。

本書の目的は会計システムの代数構造を研究し,その意義を明らかにすることです。序文には以下のように記述されています。

The object of the present work is to make the case for applying algebra to the study of accounting systems by finding algebraic concepts which are able to reflect accurately the workings of real life systems. (※筆者訳:本研究の目的は,実生活のシステムを正確に反映できる代数的な概念を見出すことで,会計システムの研究に代数学を適用することの意義を明らかにすることである。)

本書で学べること

本書で学べる最も重要なことは,複式簿記に基づく会計システムの代数構造です。実務的な会計システムに求められる機能が,どういった代数的構造に基づいているのかを解明しています。

本書で提示される会計システムの諸性質には代数学にもとづく明確な証明が付されています。

複式簿記の規則や会計システムの性質を数学的事実と関連付けて学ぶことで,簿記や会計システムの研究に役立つと同時に,実務的な課題解決にもつながることが期待されます。

会計システムの代数構造を解き明かすにあたり,代数学の基本的な概念(群や環上の加群や準同型など)を身につけることができます。

また,有向グラフやオートマトンやチューリングマシンといった,代数学と関係の深い他の数学的概念についても学ぶことができます。

 

本書で学べないこと

本書には,具体的な会計処理や財務諸表の読み方にはまったく触れません。したがって,簿記検定に受かる能力や財務諸表を読み解く力が向上すること期待はできません。

また,会計とは何か,という哲学的な問いかけに対して,このテキストは何ら答えを提供していません。

本書の基礎には仕訳や試算表をベクトルとして表すというアイデアが基本にあります。これはある意味,複式簿記の公理を提示しているとも解釈できますが,本書はあくまで会計システムの代数モデルを考察するために必要な定義をおいているものであり,簿記や会計の公理を提示するという立場はとっていません。

 

誰におすすめしたいか

複式簿記を数学的に捉えたい人

会計帳簿というものの数学的な形式的な表し方を論じているので,簿記を数学的に表す方法を知りたいという人にとっては良い教科書になるでしょう。

そのモチベーションが研究のためであれ,実務のためであれ,本書では会計システムの性質として取り上げられる命題がすべて証明されているため,堅固な理論的基礎を提供してくれます。

会計システムに関わる実務者

会計システムに関わる実務者が会計システムの代数構造を理解することで,会計システムのエラーを予期したり,エラーが発生したときに原因を究明しやすくなったりすると考えられます。

また,これから会計システムをデザイン・作成しようとする人にとっても,抽象的な会計システムの代数構造を知ることで, 安全なプロダクトを提供することが可能になります。

会計の教育者

本書が提示する複式簿記の考え方はとてもシンプルです。借方貸方という複式簿記独自の概念は,ベクトルの要素の正負として表されます。このような表現方法は,理系学生への簿記会計教育のきっかけとして有効かもしれません。

本書では複式簿記を矢印で表現する有向グラフの考え方も多く取り入れています。有向グラフによる表現は,借方貸方の仕訳を矢印で表現するため,ビジュアルに訴える複式簿記のあり方を模索する人にとって,良いインスピレーションが与えられるでしょう。

 

以下では『Algebraic Models for Accounting Systems』の全10章の内容を簡単に解説していきます。

第1章 Approaches to Accounting Theory 会計理論へのアプローチ

本書の導入となる章です。

簿記・会計学における数学の利用の歴史,特に代数の言葉による定式化について,先行研究に触れながらそれらの価値と限界を示しています。

情報システムとしての会計に着目し,その本質を数学的に,証明に基づいて解明しようとすることに,本書の価値があると説いています。

第2章 Balance Vectors バランスベクトル

会計システムの代数モデルを論じるにあたって基本となるのが,バランスベクトルです。

バランスベクトルは試算表という会計システムの状態をベクトルとして表すもので,本書においてその代数構造の基礎が明らかになります。

基本的な代数学について解説したあと,環上の加群というベクトル空間を一般化した代数構造が導入されます。

環上の加群のうち「貸借一致」の原則を満たすものがバランスベクトルの集合になります。これをバランス加群といい,本章でその代数的性質が研究されます。

 

バランスベクトルの考え方については以下の記事も参考にしてください。

【君の知らない複式簿記4】簿記代数の教科書『Algebraic Models For Accounting Systems』とバランスベクトル

第3章 Transactions 取引

会計システムの状態に変化を生じさせる写像として,取引を定義します。これは複式簿記における仕訳に相当し,バランス加群からバランス加群への写像として定義されます。

また、取引のタイプ(仕訳から金額情報を除き,科目と貸借のみわかるベクトル)や取引の有向グラフが導入されます。

【君の知らない複式簿記6】矢印簿記で仕訳をビジュアライズ

 

パチョーリ群や行列簿記など,他の代数構造との関係についても本章で論じられています。

【君の知らない複式簿記7】T勘定とパチョーリ群

 

第4章 Abstract Accounting Systems 抽象会計システム

会計システムの状態(残高,balance)と変化(取引,transaction)をバランス加群によって表現できたので,代数の言葉によって抽象的な会計システムを定義できるようになります。

本章では会計システムとして許容可能(allowable)な残高と取引を導入します。これらはバランス加群の部分集合として定義されます。

許容可能性とは現実における「ありえない残高」「許可されない仕訳」を代数的に表したものです。許容可能でない残高と取引は,抽象会計システムに適用されません。

 

第5章 Quotient Systems and Homomorphism 商システムと準同型

代数学において,ある集合の上で定義された同値関係によって,もとの集合を分割することができます。分割はされた集合たちを商集合とよびます。

抽象会計システムにおいても商集合が定義でき,それはいくつかの勘定科目を特定の規則で「まとめる」ことで報告書を作成する手続きと解釈できます。

また,抽象会計システムの間で「構造を保つ写像」である準同型写像を定義することで,異なる会計システムの比較が可能になります。同値関係に基づく報告書の作成も,準同型を使って表現し直すことができます。

同値関係【簿記数学の基礎知識】

準同型写像【簿記数学の基礎知識】

 

第6章 Accounting Systems and Automata 会計システムとオートマトン

オートマトンはコンピュータ・プログラムの数学的表現であり,会計システムの動きを表すのにも使えます。

5章までに導入した抽象会計システムの状態変化や,商システムによる報告書の作成が,オートマトンの構成要素として再度定式化されます。

会計システムのオートマトンの拡張として,各勘定への入力に時間パラメタを付加した時間拡張オートマトンが導入されます。

セミオートマトンとオートマトン【簿記数学の基礎知識】

 

第7章 Accounting Systems with Restricted Transactions 制限された取引を伴う会計システム

本章では許容可能性な取引の集合にいくつかの制約を置き,それらの制約の厳しさによって会計システムをいくつかの階層・クラスにわけます。

取引のタイプや許容可能仕訳の追加的条件が抽象会計システムのクラスを構成し,それらと有向グラフの関係が証明されます。

特に重要なのは継承的会計システムと呼ばれるクラスであり,「ある許容可能な取引(仕訳)よりも複雑でない取引は,すべて許容可能である」という現実的な仮定から導かれます。

 

第8章 Algorithms アルゴリズム

本章では抽象会計システムをチューリングマシンととらえ,決定問題を扱います。

前章までで定義した種々の抽象会計システムにおける取引や残高が許容可能かどうかを確かめるためのアルゴリズムを考察しています。

抽象会計システムは実務的な会計システムに対する数理的根拠を提供するものであり,抽象会計システムにおける確認アルゴリズムは重要です。

 

第9章 The Extended Model 拡張モデル

本章では抽象会計システムをさらに現実的なものとするために,取引の承認と頻度のモニタリングという,2つの統制機能を代数モデルに組み込みます。

抽象会計システムとして,これら機能を含む全10個の要素の組を考えることにより,代数に基づく会計モデルである10-タプル・モデルが提示されます。

前章までに導入した,会計システムの基本的構成要素となる集合や写像が,この10-タプル・モデルに凝縮されています。会計システムの基本的構成要素とは,以下の10個を指します。

  1. 勘定科目の集合
  2. 許容可能な取引のタイプ
  3. 特定の許容可能取引
  4. 許容可能残高の下限
  5. 許容可能残高の上限
  6. 勘定科目集合上の同値関係の集合
  7. 組織単位
  8. 借方統制行列
  9. 貸方統制行列
  10. 頻度関数

また,監査をオートマトンとして表すというアイデアについても解説しています。

 

第10章 The Model Illustrated モデル説明

10-タプル・モデルに基づく会計システムが具体的にどのように機能するかを,具体例を用いて解説します。

抽象的な代数の言葉で表現された会計システムについて,取引の適用と残高の更新,許容可能かどうかの確認,同値関係による報告書作成,統制の実施という基本的機能を順に確認していきます。

 

まとめ

この記事では簿記代数の研究書『Algebraic Models for Accounting Systems』の書評と内容の簡単な解説を行いました。

複式簿記の代数的構造を明らかにした記念碑的なテキストであり,簿記の数学を学ぶ上で必ず読むべき一冊といえるでしょう。

このテキストに興味を持ってくださったかたは,是非SNSでご連絡ください。簿記の本質に迫りたい会計人や、抽象的な代数学の実社会への応用を志向する数学者の方、一緒に簿記代数の世界について語りましょう。


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