【君の知らない複式簿記7】T勘定とパチョーリ群

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この記事では、複式簿記におけるT字勘定に関する代数構造を紹介します。

ご存じの通り、複式簿記におけるT勘定図(Tフォーム)は、仕訳による勘定科目の増減と期末の勘定残高を表します。

このTフォームの集合は群としての性質をもち、それをパチョーリ群といいます。

本記事は、パチョーリ群についての(おそらく日本で初めての)解説記事です。

勘定科目とTフォーム

複式簿記では取引を勘定科目に紐づけて、仕訳として表現します。

仕訳に登場した勘定科目とその金額は、各勘定科目のTフォームに転記されます。

 

数値例

取引1

100円分の商品を現金で仕入れた場合、次のような仕訳をします。

\[\begin{array}
\mbox{(借)}&\mbox{商品}&100&/\mbox{(貸)}&\mbox{現金}&100\\
\end{array}\]

このとき、「商品」勘定のTフォームの借方に、相手勘定とその金額を次のように転記します。

\begin{equation} \begin{split}
\begin{array}{cr|cr} \hline
\mbox{ 現金} & 100 &  &~\\
&  &  &~
\end{array}
\end{split} \end{equation}

取引2

80円分の商品を売上げ、代金を翌月払いとした場合、次のような仕訳をします。

\[\begin{array}
\mbox{(借)}&\mbox{売掛金}&80&/\mbox{(貸)}&\mbox{商品}&80\\
\end{array}\]

このとき、「商品」勘定のTフォームの貸方に、相手勘定とその金額を次のように転記(追記)します。

\begin{equation} \begin{split}
\begin{array}{cr|cr} \hline
\mbox{ 現金} & 100 & \mbox{ 売掛金} &80
\end{array}
\end{split} \end{equation}

期首残高の繰り越し

実際のTフォームには、会計期間の期首に各勘定の残高がどれだけあるかという情報も記載されています。ここでは期首に商品在庫を30円分持っていたとしましょう。

このとき、「商品」勘定のTフォームの借方に、期首残高が記載されます。

\begin{equation} \begin{split}
\begin{array}{cr|cr} \hline
\mbox{ 期首残高} & 30 & \mbox{ 売掛金} &80\\
\mbox{ 現金} & 100 & &
\end{array}
\end{split} \end{equation}

期末残高

この時点での商品在庫は50円となります。なぜなら、期首に30円の在庫を保有しており、仕入れによって100円分増え、売上による払い出しが80円分あったので、30+100-80=50と計算できるからです。

期末の商品残高はTフォームを見てもわかります。借方の総和130から貸方の総和50を引くことで、借方残高が50と計算できます。

 

Tフォームの数学的表現

ある勘定\(\alpha\)を表すTフォームを考えます(上記例では\( \alpha \)は「商品」勘定でした)。借方合計を\(d\)、貸方合計を\(c\)と表します。それぞれdebit(借方)とcredit(貸方)の頭文字です。

\(d,c\)はいずれも非負の実数とします。つまり\(d,c\in \mathbb{R}\)かつ\(d,c\geq 0\)です。

\(d\)と\(c\)の順序対を\([d//c]\)と表します。これは勘定\(\alpha\)のTフォームを数学的に表したものと言えます。

このように表したTフォームを\(\alpha\)エレメントとよび、以後勘定と順序対を同一視して、\(\alpha=[d//c]\)のように表します。

複式簿記にはいくつもの勘定が存在しますので、それらに順に番号を振って区別します。第\(i\)番目の勘定に対応する\(\alpha \)エレメントを\(\alpha_i=[d_i//c_i]\)と書きます。

\(\alpha \)エレメントの集合を

\begin{equation} \begin{split}
\mathcal{A}=\left\{ \alpha=[d//c]|d,c\in \mathbb{R},d,c\geq 0\right\}
\end{split} \end{equation}

と表します。以後、借方・貸方金額の総和\( d,c\)に関する制約条件\(d,c\in \mathbb{R},d,c\geq 0 \)は省略します。

 

\( \alpha \)エレメント(Tフォーム)の和

\(\mathcal{A}\)の2つの元\(\alpha_1,\alpha_2\)に対して、それらの和\(\alpha_1+_{dc}\alpha_2\)を次のように定義します。

\begin{equation} \begin{split}
\alpha_1+_{dc}\alpha_2&=[d_1//c_1]+_{dc}[d_2//c_2]\\
&=[d_1+d_2//c_1+c_2]
\end{split} \end{equation}

つまり、\(\alpha \)エレメントの和は、順序対の要素ごとの和と定義します。\(\alpha \)エレメントの各要素はそれぞれ非負実数なので、通常の和が定義できます。\(\alpha \)エレメントの和\(+_{dc}\)は通常の和から定義され、well-definedです。通常の和記号\( +\)と区別するために、借方(debit)貸方(credit)のそれぞれの和であることを強調して、\(\alpha  \)エレメントの和を\(+_{dc} \)と表しています。

 

\( \alpha \)エレメントの同値関係

さて、\(\alpha \)エレメントの第一要素と第二要素の差は、期末の勘定残高を表しているのでした。いま、ある\(\alpha \)エレメント\(\alpha=[d//c]\)をとってくると、勘定残高は\(d-c\)です。もし\(d-c<0\)ならば、この勘定残高は貸方残高\(c-d>0\)であると約束します。

ここで第一要素と第二要素にそれぞれ実数\(g\geq 0\)を足すとどうなるでしょうか。

\(\alpha \)エレメント\([d//c]\)に、第一要素と第二要素がどちらも\(g\)であるような\(\alpha \)エレメント\([g//g]\)を足すと

\begin{equation} \begin{split}
[d//c]+_{dc}[g//g]=[d+g//c+g]
\end{split} \end{equation}

となります。こうして得られた新たな\(\alpha \)エレメントが表す勘定残高は\((d+g)-(c-g)=d-c\)であり、もとの\(\alpha \)エレメントが表す残高と一致しています。

したがって、\(\alpha \)エレメントの第一要素と第二要素に同じ数を加えても、\(\alpha \)エレメントが表す残高は不変です。

同じ残高を表す\(\alpha \)エレメントであることを\(\simeq\)という記号で表すことにすると、これは\(\alpha \)エレメントの集合\(\mathcal{A}\)上の二項関係になります。任意の\(d,c,g\geq 0\)に対して

\begin{equation} \begin{split}
[d//c]\simeq[d+g//c+g]
\end{split} \end{equation}

が成り立ち、\(\simeq\)は\(\mathcal{A}\)上の同値関係になります。

 

\( \alpha \)エレメントの同値類

\(\alpha \)エレメントの集合\(\mathcal{A}\)を同値関係で割ることで、商集合\(\mathcal{A}/\simeq\)が得られます。\(\alpha \)エレメント\([d//c]\)が属する同値類を\(C\left([d//c]\right)\)を表すと、

\begin{equation} \begin{split}
\mathcal{A}/\simeq=\left\{ C([d//c])\right\}
\end{split} \end{equation}
です。

商集合\(\mathcal{A}/\simeq\)における和\(\tilde{+}\)を次のように定義します:\(C([d_1//c_1]),C([d_2//c_2])\in \mathcal{A}/\simeq\)に対して

\begin{equation} \begin{split}
C([d_1//c_1])\tilde{+}C([d_2//c_2])=C([d_1+d_2//c_1+c_2])
\end{split} \end{equation}

この演算は代表元のとり方によりません。つまり、\( C([d_2//c_2])=C([d_3//c_3])\)とすると、

\begin{equation} \begin{split}
C([d_1//c_1])\tilde{+}C([d_2//c_2])&=C([d_1+d_2//c_1+c_2])\\
&=\left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[d_1+d_2//c_1+c_2]\right\}\\
&=\left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[d_1//c_1]+[d_2//c_2]\right\}
\end{split} \end{equation}
と表せますが、\([d_2//c_2]\simeq [d_3//c_3] \)なので

\begin{equation} \begin{split}
C([d_1+d_2//c_1+c_2])&=\left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[d_1//c_1]+[d_3//c_3]\right\}\\
&=\left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[d_1+d_3//c_1+c_3]\right\}\\
&=C([d_1+d_3//c_1+c_3])\\
&=C([d_1//c_1])\tilde{+}C([d_3//c_3])
\end{split} \end{equation}
が成り立ちます。したがって\(\mathcal{A}/\simeq\)における和\(\tilde{+}\)はwell-definedです。

 

パチョーリ群

以上のようにして定義された\(\mathcal{A}/\simeq\)は、演算\(\tilde{+}\)について群となります。この群をパチョーリ群と呼び、\( \mathcal{P}=\mathcal{A}/\simeq\)と表します。

すでに述べた通り、パチョーリ群の元(パチョーリクラスと呼びます)は加法\(\tilde{+}\)について閉じています。また、以下のように結合法則も成り立ちます。

\begin{equation} \begin{split}
\left(C([d_1//c_1])\tilde{+}C([d_2//c_2])\right)\tilde{+}C([d_3//c_3])&=C([d_1//c_1])\tilde{+}\left(C([d_2//c_2])\tilde{+}C([d_3//c_3])\right)
\end{split} \end{equation}

パチョーリ群には特別なクラス\(C([0//0])= \left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[0//0]\right\}\)が存在します。これをゼロクラスと呼びましょう。ゼロクラスとは\( d=c\)であるような\( \alpha \)エレメントの集合であり、貸借が一致している勘定を意味します。

任意のパチョーリクラスとゼロクラスの和は、元のパチョーリクラスとなります。つまり

\begin{equation} \begin{split}
C([d//c])\tilde{+}C([0//0])=C([d//c])
\end{split} \end{equation}
です。ゼロクラスはパチョーリ群の単位元です。

パチョーリ群が群であることをいうためには、任意のパチョーリクラスについて逆元が存在することを示す必要があります。そこで、任意のパチョーリクラス\( C([d^*//c^*])\)を一つ固定します。このときパチョーリクラス\(C([c^*//d^*]) \)との和を考えると、

\begin{equation} \begin{split}
C([d^*//c^*])\tilde{+}C([c^*//d^*])&=C([d^*+c^*//c^*+d^*])\\
&=\left\{ [d//c]|[d//c]\simeq[d^*+c^*//c^*+d^*]\right\}\\
&=\left\{[d//c]|d-c=(d^*+c^*)-(c^*+d^*)\right\}\\
&=\left\{[d//c]|d-c=0\right\}\\
&=\left\{[d//c]|d=c\right\}\\
&=\left\{[d//d]\right\}\\
&=C([d//d])\\
&=C([0//0])
\end{split} \end{equation}
となります。したがって\(C([c^*//d^*]) \)は\( C([d^*//c^*])\)の逆元になっており、逆元は任意のパチョーリクラスに対して存在します。

以上のことから、\( \mathcal{P}=\mathcal{A}/\simeq\)は群であることを示せました。

 

まとめ

パチョーリ群は「近代会計学の父」とも呼ばれる数学者ルカ・パチョーリに由来しています。

Tフォームという基本的な複式簿記の概念が、群という基本的な代数構造と対応しているのは驚きに値します。

代数という「構造を知るための数学」による表現を得られた複式簿記は、今後さらに理解されていくことでしょう。

 

参考文献

この記事はこちらの論文を参考にしました。

Sander Renes(2020) When Debit=Credit, The Balance Constraint in Bookkeeping, Its Causes and Consequences for Accounting(LINK)

一点注意があります。上記論文は\( \mathcal{A}=\left\{ \alpha=[d//c]|d,c\in \mathbb{R},d,c\geq 0\right\}\)が\(+_{dc} \)について群をなす(つまり\( (\mathcal{A},+_{dc})\)がパチョーリ群である)と書いてありますが、それを示すために同値関係\( \simeq\)による\( \alpha \)エレメントの同一視をしています。同値関係\(\simeq \)を考えなければ\( (\mathcal{A},+_{dc})\)は群にはなりませんので、本記事ではより正確に、\( \alpha \)エレメントの同値関係\( \simeq\)で割った商集合\( \mathcal{P}=\mathcal{A}/\simeq\)が群であることを示し、これをパチョーリ群と呼びました。

 

パチョーリ群というアイデアは、リュブリャナ大学(スロベニア)のDavid P. Ellermanによるものです。彼は1982年の著書の中でTフォームの代数構造について書いており、その後もパチョーリ群と簿記・会計の数学的表現に関する幾つかの論文を発表しています。

David Ellerman(2014) On Double-Entry Bookkeeping: The Mathematical Treatment(LINK)

 

パチョーリ群は複式簿記における代数構造の一つです。複式簿記の代数構造としては他にも、行列を用いるもの(いわゆる行列簿記)やベクトル(を一般化した自由加群)を用いたものが知られています。それらは以下の記事にまとまっています。

【君の知らない複式簿記】目次まとめ

 

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