公開されていない情報を用いた取引をインサイダー取引といいます。
インサイダー取引は数学的にどのように定式化されるのでしょうか。本記事ではインサイダー取引の数理的研究に関する文献を紹介します。
私的情報とマーケットマイクロストラクチャー:Kyle(1985)
インサイダー取引の数理的研究の先駆けともなったのが、Albert S. Kyleの”Continuous Auctions and Insider Trading”です(リンク)。
Kyle1985では、真の資産価値を知っている「インサイダー」と、適当な(モデルにおいて外生的に与えられる)取引を行う「ノイズトレーダー」、そして適正な価格を決める「マーケットメーカー」からなる単純な市場を考えます。
インサイダーは自身の利益を最大化するように取引量を決め、マーケットメーカーは利益がゼロになるように価格を決めます。
このモデルでは、資産価格\( p\)がインサイダーとノイズトレーダーのオーダー量の線形関数(一次関数)で表されます。
インサイダーの持っている私的情報(インサイダー情報)の一部は市場価格\( p\)に織り込まれ、それによってノイズトレーダーは平均的には損を被ることが示されます。
Klye1985のモデルのエッセンスは、こちらのテキストにもわかりやすく解説されています。
Kyle1985のモデルは、価格と取引量の線形関係を明示したという意味でも重要です。Kyle1985のモデルでは、価格\( p\)とインサイダーとノイズトレーダーの総オーダー量\( y\)には
p=\mu+\lambda y
\end{split} \end{equation}
係数\( \lambda\)は「Kyleのラムダ」とよばれ、市場参加者のミクロな取引に着目した市場の構造を解き明かす分野「マーケット・マイクロストラクチャー」の研究へと続いていきます。
マリアヴァン解析、フォワード積分、フィルトレーションの拡大
インサイダー取引の数理的研究は、マリアヴァン解析に関連するものが多いようです。
マリアヴァン解析の概要については以下の記事を参考にしてください。
【マリアヴァン解析】概要、応用、おすすめテキスト、そしてマリアヴァン解析に自信ニキ|Monte Carlo Note
マリアヴァン解析は、株価チャートのようなランダムな変化量の履歴(チャートのパス)がなす集合上で、微積分を展開しようという分野です。確率論・確率解析の発展として学ぶことが多いように思われます。
インサイダーというのは、このランダムな変化量に関して「より細かい情報」を持っている主体だと考えることができます。そうした場合に、「情報」を表す概念であるσ-加法族によってインサイダー取引を定式化するのは自然です。マリアヴァン解析はこうした分析を可能にします。
以下の書籍はマリアヴァン解析の基本的内容とファイナンス理論への応用について述べたテキストです。第8章「The Forward Integral and Applications」においてインサイダー取引の数学的定式化について解説しています。
上記テキストの内容は、以下の論文が基本になっているようです。
Igor Pikovsky and Ioannis Karatzas(1996), Anticipative Portfolio Optimization, Advances in Applied Probability Vol. 28, No. 4 (Dec., 1996), pp. 1095-1122(リンク)
関連する以下の論文ではトレーダーの情報量の差がシャノンの情報理論とリンクしていることを述べています。
Stefan Ankirchner, Steffen Dereich, and Peter Imkeller(2006), The Shannon information of filtrations and the additional logarithmic utility of insiders. Ann. Probab. Volume 34, Number 2 (2006), 743-778. (リンク)