「わかった気にさせる」ことの功罪

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誰かに知識を伝えるとき、なにを・どこまで深く説明すべきか迷うことがあります。

重要で、知っていて損はないけれども、詳しく説明することで返って混乱を招いてしまうような場合には、敢えて説明をぼかすこともあります。

その際、知識を伝える相手に「わかった気になってもらう」ことが重要です。

本記事では「わかった気になってもらう」「わかった気にさせる」ことの効果と、それによって生じる問題について考えます。

わかった気にさせることの必要性(制約下での効果最大化のために)

私は仕事の中で、同僚やお客さんに対して専門知識のレクチャーを行うことがしばしばあります。ファイナンス(金融工学)や会計学に関する解説を依頼されることが多いです。

知識をわかりやすく伝えるためには、伝えたい内容を整理したレクチャー資料を作ります。

このとき、なにを・どこまで深く説明すべきかという点が、とても悩ましい問題として浮上します。

レクチャー資料を読む人の属性が決まっていると、この問題を解決するのは比較的簡単です。例えば公認会計士試験の受験生に対して会計実務のレクチャーを行う際には、会計の目的や仕組みを説明する必要はありませんし、専門用語を断りなく使っても理解を妨げません。経済学部の出身者に対してファイナンス理論を説明する際には、受講者は経済学や数学を予備知識として持っているので、ファイナンスの本質的な話題を経済学や数学の言葉で表現できます。

しかし、資料を読む人が前提知識を持っていないケースも多々あります。

会計やファイナンスの素養がない(もしくは持っているか不明な)人に対して専門分野に関する説明を行い、短時間で知識をインプットしてもらうには、どうしても「わかった気になってもらう」部分が出てきてしまいます。

ファイナンスは数学の素養が求められますが、ファイナンスを学びたい人に「説明に必要なので、微積分と線形代数から始めます」と伝えても、納得してもらうのは難しいのです。

時間的制約もある中で、あらゆる基礎を整えてから本論に入るのは現実的ではありません。また、前提知識なしでも重要な洞察を得られるのなら、それで十分であるケースもあります。

そのようなケースにおいては、敢えて突っ込んだ議論に入らず、相手に「わかった気になってもらう」ことも重要です。

 

わかった気にさせることの危険性(なぜ専門用語を使うのか、前提知識はなぜ必要なのか)

ファイナンスの例を続けます。

ファイナンスの勉強で微積分や線形代数やミクロ経済学が求められるのはなぜなのでしょうか。

それは、それら分野の言葉を利用することで、ファイナンスをより深く理解できるからです。それら前提をすっとばしてファイナンスを語ると、どうしても表面的な議論になってしまいます。

専門用語というのは、ある概念を表すのに最もふさわしい端的な表現です。その表現を使わずに説明しようとすると、どうしても冗長になりポイントから外れてしまったり、意図せぬニュアンスで伝わって誤解を生んだりします。

もちろん、そうした理解の曖昧さや誤解が生じても、特に大きな問題にならないケースもあります。

しかし物事を「正しく」(=多くの人に受け入れられている言葉遣いと表現方法によって)理解するためには、専門用語を使うことは避けられません。

そうした専門用語を習得することが、いわゆる前提知識を求める、ということなのだと思います。

 

わかった気にさせてくれると、選ばれる(あるMBAでの実体験)

前提知識を要求し、基礎的な事項からじっくり積み上げていく教育と、適宜「わかった気にさせる」ことで知識を広げていく教育。

どちらもメリット・デメリットがあります。

私が身をおいていたMBAという特殊な(?)教育機関でも、上述の2パターンの講義が存在しました。

学問的王道を行く授業と、わかった気にさせてくれる授業、どちらも存在する中で、人気なのは明らかに後者でした。

当然といえば当然です、わかった気にさせてくれる授業に出れば、学生はわかった気になれるんですから。知識のインプットを目的としてMBAにコミットした学生たちなので、授業から得るものが大きいというのは極めて重要な要素です。

一方、数学や経済学などの学術的基礎を備え、一般的命題を導けるような授業は「難しい」「使えない」と言われることすらありました。

そうした授業はたしかに難易度が高いものでしたが、確固たる基礎を備えているので、いったん「わかる」ことができれば極めて汎用性のある知識になります。

ただ、将来の役立ちを予測できない以上、「わかった気になれる」授業を選んでしまうのは仕方ないことです。

前述の通り「わかった気になる」ことが必ずしも悪いことではなく、わかった気になってさっさと発展的な内容を議論するのも重要です。

 

効果的に「わかった気になってもらう」ために

ここまで、

  • 「わかった気にさせる」ことが時には必要であること
  • 「わかった気になる」ことそれ自体が悪いことではないということ
  • 「わかった気になる」ことには危険も伴うのだということ

についてお話しました。

様々な制約のなかで知識を伝えるためには、時として「わかった気にさせる」ことは重要です。しかし学術的に正しい理解を持ってもらうためには、それだけでは不十分です。

時間がない中で駆け足で全体像を理解してもらうには「わかった気になってもらう」必要があるでしょう。その場合にも、正しい理解を持ってもらうために参考文献を提示するなど、知識を保管する情報は提供できます。

私たちが誰かに知識を伝える際に大切なことは、レクチャーの目的・目標を明示して、それを達成するのに必要十分な材料を提供することなのだと思います。

 

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