探求には、心理的・時間的な余裕が必要、という話。

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こんにちは、毛糸です。

先日こういった呟きをしました。

今回は、探求の必要条件としての余裕について考えてみたいと思います。

勉強のやる気はどうやったら湧いてくるのか

勉強することを苦痛に感じる人は少なくありません。

小中高校の勉強に嫌気が差した人はたくさんいるでしょうし、大学に入ってからも勉強せずに遊ぶ人はたくさんいます。

「若いときは遊べ」と忠告する社会人の多くも、根底には勉強が楽しくないものであるという考えがあるような気がします。

しかし、楽しくない勉強も、様々な理由でやらざるを得ない状況というのがあります。

テストがあるとか、資格を取らなければならないとかで、強制的にでも勉強しなければならない状況というのは、なかなか避けては通れません。

勉強のやる気を高める方法にはいろいろありますが、私が実践しているのは、

とりあえず手を付けてみることから始める

ということです。

人間の脳は刺激を受けて活性化するそうなので、勉強のやる気を出す最も良い方法は、勉強に向かう刺激を与えることです。

そのためにはまず、どんな些細なことでもいいので、勉強に手を付けると、勢いが付きます。

そもそも勉強は苦しいものなのか?

私は大学を出て、大学院に進学し、社会人になってからも勉強を続けています。

勉強というのは、数学の証明を追うことであったり、金融工学の成果をプログラミングするであったり、投資に役立つ情報を収集するであったりと、色々です。

先述の通り、世の中には勉強を強制される状況が多いとはいえ、私自身は勉強を誰かに強要されることなく、自発的に取り組んでいます。

私にとって勉強は、自分の興味を探求し、自身の知識の幅を広げる、とても創造的で楽しい行為です。

探求する意欲というのは、誰しもが持っていることです。

机に向かう「ベンキョウ」が、勉強のすべてではありません。

学び、探求することは、決して苦しいものではなく、自発的興味からくる創造的な営みです。

探求の必要条件としての余裕

自発的に興味を持ち探求する勉強は、誰しもが楽しめる可能性を持っています。

しかし、その探求としての勉強には、必要な条件があります。

それは心理的・時間的に余裕がある、ということです。

いくら興味関心を持っていたとしても、仕事で嫌なことがあったり、夜遅くまで残業してへとへとになったりしていれば、探求に没頭することはできないでしょう。

自分のスキルを伸ばすために資格を取ろうと思っても、仕事に忙殺されては十分な時間も取れません。

いくら勉強が楽しいものであっても、楽しむための心理的余裕や、勉強のために確保する時間的余裕がなければ、興味関心を深めることが出来ません。

これは個々人の性格の問題ではなく、人間の活動キャパシティの限界によるものです。

もし、勉強したいこと、取り組みたいことがあるのに、疲れていつもくたくただと言う人は、自分の今の時間の使い方を見直して見る必要があるかもしれません。

自分の心に芽生えた貴重な探究心を、キャパシティのせいで諦めるのはとてももったいないことのように思います。

学びたいという気持ちを行動に繋げられるように、日々の時間の使い方をデザインするといいでしょう。

強制的に勉強の習慣をつける、というのも一つの方法です。

私は友人と協力して、月に一度勉強会を開催しています。

自分と同じような志を持つ人と同じ時間を共有することで、心理的・時間的余裕を強制的に確保する試みです。

こうした機会を利用するのも、いい方法だと思います。

まとめ

勉強のやる気は、勉強することで沸き起こります。

そもそも勉強は苦しいものではなく、自発的に興味関心を深めたいという気持ちがある場合、勉強は大変有意義で楽しいものになります。

しかし、そういった探究心を行動に移すには、心理的・時間的余裕が必要です。

もし取り組みたいことがあるのに時間が確保できないなら、時間の使い方を反省してみるべきかもしれません。

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