誇りとイキり、謙虚と自虐、専門家の態度。

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こんにちは、毛糸です。

先日、私の尊敬する人がこんなことを話してくれました。

自分の専門分野だと知らず知らずのうちに上から目線になる時が出てくるかもしれない

この言葉がとても心に刺さったので、少し深堀りしてみたいと思います。

専門分野で慢心しない

自分の専門分野では、知らず知らずのうちに上から目線になる。

この言葉、まさしくその通りだなぁと反省しました。

私は公認会計士の資格を持っていたり、大学院でファイナンスの研究をしたりと、人並み以上に知識のある「専門分野」を持っています。

ある分野について広く・深く知っているからこそ、自分の知識に自信を持つことが出来ますし、それを社会に還元することも出来ます。

しかし、自分よりさらに広く・深く知っている人は必ずいるものです。

会計士だから、大学院を出ているから、自分の知識は普通の人より優れているのだ、などという不遜な考えを持とうものなら、SNSで集中砲火を浴びること必至です。

普通の人よりいくらか多く勉強・経験したとはいえ、上には上がいるもので、自分は世界のごく一部しか知らないのだということを認識しておかないと、痛い目を見ます。

あらゆる知識に簡単にアクセス出来るようになった現在、専門家の知識それ自体の価値は相対的に低下しており、慢心すれば途端に綻び、信用を失います。

専門家といえど、慢心してはいけないのだと、肝に銘じたいと思います。

誇りとイキり

自分の知識に自信と誇りを持つことはプロフェッショナルとして当たり前のことです。

クライアントは専門家の知識・経験の他に、専門家に頼るというサービスそのものに価値を感じていることも多く、専門家が自分に誇りを持つことは、プロとして必要なあり方です。

しかし、「誇りを持つ」ことは時として「イキっている」と捉えられがちです。

誇りと自信は、見せ方を少し誤れば、高慢で不遜な「イキった」姿に映ります。

イキりは自分を大きく見せたいという気持ちの表れであり、誇り・自信とは似ているようで、他者からの評価は全く異なります。

プロフェッショナルとしての「誇り・自信」と、威圧や権威付けのための「イキり」は、明確に区別しなくてはいけません。

謙虚と自虐

専門家には、謙虚で誠実な態度も求められます。

謙虚で誠実な姿勢は、信頼される専門家の必要条件です。

前述の「イキった」態度をとらないために、常に謙虚でいることが必要です(最近の私の課題でもあります)。

ただ、だからといって「自分なんてゴミカスです」と卑下するのは違っていて、自分を貶すことと謙虚さを持つこととは、明確に区別しなくてはいけません。

自分を貶めるのは単なる自虐風自慢であって、謙虚で誠実な態度とは異なります。

既に専門家として活躍している人が自虐をするのは、その専門分野を極めようとする後進の人たちに対する侮辱ともとれるものであり、慎むべきです。

専門家として成功している人が「私などまだまだ」と謙遜することは多々ありますが、これが行き過ぎて「自虐」にまで至ってしまうと、信頼をなくしてしまいます。

この辺りの匙加減は難しいものですが、謙虚さと自虐とは異なるのだという意識は常に持っていたいものです。

まとめ

専門家が陥りがちなイキりと自虐を、プロとしての誇りと謙虚さに対比させて考えてみました。

これらのボーダーラインは曖昧なものですが、信頼される専門家としてあるためには、常に意識しておきたいところです。

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