こんにちは、毛糸です。
先日、【君の知らない複式簿記】と題して、2つの「ちょっと変わった」簿記技術である、行列簿記と三式簿記について紹介しました。
行列簿記とは、複式簿記の借方と貸方を、行列に当てはめて表現する手法のことです。
>>【君の知らない複式簿記1】行列簿記の意義、性質、限界
また、複式簿記は完成された概念なのか?という疑問を深めることで、三式簿記のような拡張概念が生まれました。
>>【君の知らない複式簿記2】複式簿記の拡張、三式簿記
行列簿記も三式簿記も、すでにある複式簿記をより使いやすくしたり、一般的なものに拡張できないかという問題意識のなかで発見されたものです。
ここで、このような「拡げる」考え方とは少し視点を変え、複式簿記を「深める」「探る」視点を持ってみましょう。
本記事では、複式簿記という計算技術それ自体の数学的な性質に着目し、複式簿記を抽象化することで理解を深めたいと思います。
そして複式簿記における仕訳や試算表が、代数学における「群」の性質を持つことを説明します。
目次
複式簿記の重要な性質 仕訳は足しても仕訳になる
複式簿記の大きな特徴の1つが、借方と貸方のバランスです。
仕訳とその集計結果である試算表は、かならず借方と貸方がバランスするように作られます。
バランスしている試算表に、バランスしている仕訳を足して出来上がる新たな試算表は、やはりバランスしている試算表になります。
試算表や仕訳など、借方と貸方に勘定科目と金額を置いたものを、T勘定(Tフォーム)と呼ぶことにしましょう。
複式簿記の枠内で考える限り、バランスしているT勘定の和は、再びバランスしているT勘定になります。
数学の言葉を使うと、T勘定の集合は、T勘定の足し算という演算について閉じている、といえます。
T勘定(仕訳、試算表)の足し算に関する性質:半群
T勘定にの足し算についてさらに付け加えるなら、3つのT勘定T1、T2、T3について、その足し算の順序は、最終的な結論に影響しません。つまり
[T1]借方 現預金 100/貸方 資本金 100
[T2]借方 現預金 200/貸方 借入金 200
[T3]借方 器具備品 100/貸方 現預金 100
という3つの仕訳を考えるときに、T1+T2を計算したあとに、T3を加える、つまり
(T1+T2)+T3
と計算する場合と、T1に、T2+T3の計算結果を加える、つまり
T1+(T2+T3)
と計算する場合とでは、結論が同じになります。
このように、ある集合(ここではT勘定)に演算(ここでは足し算)が定義されていて、その演算の順番を変えても結果が変わらないとき、この集合(T勘定)は演算(足し算)について、半群である、といいます。
つまり、複式簿記におけるT勘定(仕訳や試算表)は、足し算について半群である、といえます。
空の仕訳(単位元)と逆仕訳(逆元)
さて、仕訳には、借方と貸方に何もない(もしくは金額がゼロの)「空の仕訳」を考えることもできます。
ある試算表にこの「空の仕訳(空のT勘定)」を足しても、当然のことながら試算表は変化しません。
無数にあるT勘定を寄せ集めた集合のなかにおいて、この「空のT勘定」は、「単位元」という特別な名前で呼ばれます。
単位元とは、足しても何の変化も起こさないような要素のことです。
また、ある仕訳もしくは試算表に足すことで、その仕訳もしくは試算表の残高を全てゼロにするような仕訳を考えることもできます。
いわゆる逆仕訳です。
どんな仕訳もしくは試算表(つまりT勘定)にも、かならず逆仕訳が存在します。
なぜならそのT勘定の貸借を完全に反転させたものをもとのT勘定に足せば、「空のT勘定」になるからです。
T勘定の集合のなかで、これらは逆元とよばれます。
複式簿記の代数的構造「群」
単位元と逆元が存在する半群を、群といいます。
つまり群とは、順番を問わず足し算ができ、足しても影響のない要素(単位元)をもち、足すと単位元を作り出せる要素(逆元)をもつ集合のことです。
複式簿記におけるT勘定は、順番を問わず足し算ができ、足しても影響のないT勘定(空のT勘定)と、空のT勘定を作るためのT勘定(逆T勘定)が存在するため、群であると言えます。
複式簿記という世界において、会計の状態を表すT勘定を寄せ集めて作る集合は、「群」という数学的な構造を持っています。
群は、数学の一分野である代数学で研究される対象ですので、ある集合(と演算のセット)が群であるというような場合には、その集合の代数的構造を調べている、と表現したりもします。
実は、群の中で、足し算の「前後」を変えても結果が変わらないときには、これを「アーベル群(可換群)」といいます。
2つのT勘定T1とT2について、T1+T2と計算しても、T2+T1と計算しても、出来上がるT勘定は変わりません(この性質を可換と言います)。
したがって、複式簿記におけるT勘定は、群、とくにアーベル群としての性質を持つ、ということが出来ます。
複式簿記が「群」だと何が嬉しいのか
複式簿記の骨組みとして(アーベル)群としての性質が備わっているとわかって、一体何が嬉しいのでしょうか?
この問に関して、読者の皆さんを全員納得させられるような明快な答えはありません。複式簿記による記帳の実務が簡略化されるわけでもなければ、決算が円滑に進むわけでもありません。
しかし、「複式簿記が、別分野のよく知られた概念と対応付けられたこと」は、大きな意味を持つと私は考えています。
複式簿記を複式簿記としてしか考えない場合には、複式簿記について成り立つ性質も「当然、そういうもの」と見過ごされてしまいます。貸借が一致するのも、間違った仕訳が取り消せるのも「複式簿記とはそういうもの」で済まされてしまいます。
しかし、ひとたび複式簿記が数学概念として定式化されれば、性質を同じくする別の概念と対比させたり、今まで気付かなかった性質が浮かび上がって来るかも知れません。
「群」は対称性を記述するのにも用いられ、物理学(量子論)などでも応用例が見いだせます。そういった「性質を同じくする別の概念」と複式簿記の繋がりを明らかにすることで、複式簿記そのものを理解したり、複式簿記を拡張したりという議論が生まれるのです。
「群」は日常にも多くの例があり、あみだくじやルービック・キューブにも「群」の性質があります。詳しくは参考文献にも上げた『数学ガール/ガロア理論』などをお読みください。