「AIで会計士の仕事(監査)はなくなるのか」に対するひとつの数理的整理

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こんにちは、毛糸です。

AI(人工知能)という言葉が広く知られるようになり、Deep learningのようなブレイクスルーがビジネスにも応用されつつあります。

AIは時折「人間の仕事を奪う」という文脈で脅威的な存在として語られることもあり、2013年のカール・ベネディクト・フレイとマイケル A. オズボーンの論文
「THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?」(pdfリンク)

では多くの職業がコンピュータに取って代わられる可能性があることが示されています。

論文内に示される代替確率ランキングでは、Bookkeeping, Accounting, and Auditing Clerks(簿記、会計および監査職員)は702の職業のうち、代替確率が低い順に671位、代替されやすさでいえば31位に上がっています。

こうした状況の中で「AIで会計士の仕事(監査)はなくなるのか」という話題がしばしば取り上げられます。

本記事ではこの問いに対して、会計の数理モデルに基づく整理を述べ、AIによる監査の代替について考察します。

プログラム可能な監査領域は容易に代替可能

現在のAIの実態は、コンピュータ言語によるプログラムないしアルゴリズム(計算手順)です。

AIによって代替できる仕事は、それがプログラム可能であることが必要条件です。

したがって荒っぽく言えば、監査のうちプログラム可能な手続きならば代替可能、そうでない部分は不能ないし困難です。

また、代替可能=代替実行ではないことにも注意が必要です。

代替可能であっても、コストベネフィットの観点から、代替しないことはありえ、そこには必ず経済性が求められます。

つまり、プログラム可能な問題であっても、そのプログラムを作成するのに多大なコストがかかる場合や、人間が行った方が費用対効果が高い場合には、代替可能であっても代替されません。

以下では会計と監査を数理モデルとして単純化し、その構成要素がプログラム可能であるかどうかを考えることで、監査がAIによって代替可能なのかどうかを判断します。

写像としての会計

会計\( A\)を「経済活動\( \Omega\)から会計情報\( B\)への写像」と考えましょう。

「会計は写像である」というのは会計学の常套句で、会計学の有名なテキスト『財務会計講義』にも以下のような記載があります。

会計はこのような経済活動を所定のルールに従って測定し、その結果を報告書にとりまとめる。したがってその報告書は、経済活動という実像を計数的に描写した写像である。

会計は、経済活動を報告書に対応付ける写像(関数)のようなものである、ということです。

会計学を写像と定義した場合、会計は確率論のアナロジーとして捉えることができます。

【参考記事】
確率論のアナロジーとしての会計学と、それらの重要な差異

会計規則を写像\( A:\Omega\to B\)と考えたとき、ある経済活動\( \omega\in\Omega\)に対して、会計情報\(b\in B \)を対応させる経営者の主張に対して、

\( b=A(\omega)\)であることを立証するのが監査である、と捉えることができます。

経営活動、会計写像、会計情報のプログラム可能性

会計情報\( b\)は、試算表や有価証券報告書という形式を通じてデータとして扱うことができ、プログラム可能です。

したがって、経済活動\( \omega\in\Omega\)と会計規則\( A\)がプログラム可能ならば、監査はプログラム可能であると言えます。

企業の経済活動\( \omega\in\Omega\)がプログラム可能か?というのはたとえば

「商品を売った」という経済活動(収益認識を伴う営業活動)と

「商品を売った(実はあとで返品する約束をしていた)」(商品担保借入としての財務活動)という経済活動を、

全く別の経済活動としてプログラムとして記述可能か、というような話です。

会計規則\( A\)がプログラム可能か、というのは、たとえば

「仮想通貨という全く新しい資産(と呼べるかすらわからない対象)を貸借対照表にいくらで載せるべきか」

というような、今までにない経済活動を会計情報として表現するルールがプログラムとして記述可能か、というような話です。

プログラム可能と思われる経済活動と会計規則の例をあげましょう。

債権債務関係を示す契約書が電子化されており(経済活動\( \omega\)がプログラム可能であり)、

債権債務はその金額を資産負債の額とするというルール(会計規則\( A\)がプログラム可能である)ならば、

財務諸表における債権金額\( b\)が会計基準の要請\( A(\omega)\)に一致しているか否かをコンピュータが判断することができるため、コンピュータによって監査を行うことは可能です。

実際、確認状プラットフォームなどの環境が整えば、これに近いことが行われると考えられます

会計のプログラム不可能性

しかし、複雑化する企業の経済活動\( \omega\in\Omega\)がすべてプログラム可能とは到底思えないうえに、

あらゆる経済活動に細則的な会計規則\( A\)を設定することは現実的でないので、

これらをすべてプログラムするのは不可能(むしろこれら大部分はプログラム不能)と言って良いでしょう。

したがって、監査が完全にAIに代替されることはないと結論付けられます。

追記

経済活動\( \Omega\)と会計写像\( A:\Omega\to B \)がプログラム可能であれば機械に代替可能、といいましたが、\( A\)はプログラム可能である必要はないかもしれません。

経済活動\( \Omega\)と会計情報\( B\)がプログラム可能なデータであれば、写像\( A\)はDeep Learningなどの関数近似器を使って学習させられる可能性があります。

ただ、この写像がその時点での「あるべき」会計であるかはわかりません。

例えば、100円で商品を掛売りしたとき

(売掛金,売上)=(100,-100)

という仕訳を切るのが現在の会計慣行ですが、

経済全体が困窮してきて

「売上にかかる信用コスト分は収益認識しない」

というような会計基準が適用された場合に、従来の会計処理から学習した「近似会計写像」による会計情報は、もはやあるべき会計情報ではなくなります。

実際、金融商品会計では、従来明示的に扱われてこなかった取引相手の信用リスクを、金融商品の時価に織り込む(CVAと呼ばれます)流れになっており、会計基準はその時々の実務的要請に従います。

機械に代替されるであろう会計士の仕事

経済活動と会計ルールがプログラム可能で、かつ機械に代替させることで監査人の利潤が高まるなら、その部分は代替が進むと考えられます。

仕訳テストなどはその好例です。

従来人間がデータベース管理ソフトを用いてあれこれ行ってきた仕訳分析が、AI(とまで言わずとも簡単なプログラム)で代替される動きはかなり進んでいます。

プログラム可能でコストベネフィットの高い領域は、合理的な組織であれば躊躇なくコンピュータに代替されるものと思われます。

来るべきAI社会に向けて、新しい技術を正しく理解し、脅威ではなくビジネスツールとして役立たせることができれば、移り変わる社会の荒波にも飲まれることなく進めることでしょう。

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