こんにちは、毛糸です。
先日こんなつぶやきをしました。
「俺の会計基準」について経済主体は自身の効用を最大化させるような会計規則を決定する。
会計基準が経済主体の民主的投票により決まるとき、アローの不可能性定理により、経済主体全員が納得する投票メカニズムは決められず、全員に望まれた会計基準は存在しない。という仮説。— 毛糸 (@keito_oz) July 25, 2019
会計基準とは、企業の経済活動を会計情報として表現するためのルールのうち、社会的合意によって決まったもののことです。
社会的合意によって決まったものでなくとも、一定のコミュニティの中で有用性が認められた表現ルールというのは考えてもいいわけで、そのようなものを総称して「会計ルール」と呼ぶことにしましょう。
このような用語の使い方を約束すると、たとえば自分の中で有用と認められた会計ルールは「俺の会計基準」と呼んでもよさそうです(笑)
本記事では、会計ルールはどのように決まるのか、そしてどう決まるべきなのかということを考えてみます。
「俺の会計基準」から「会計基準」へ
先日公開した記事のなかで、会計と確率論の類似点について考えてみました。会計ルールをどう決めるかという問題は、確率論でいうところの確率変数をどう決めるかという問題に対比されると考えられます。
【参考記事】
確率論のアナロジーとしての会計学と、それらの重要な差異
しかし、確率変数としての会計ルールをどう決めるべきかというのは、もはや数学の問題ではなく、純然たる会計学の問題です。
冒頭のツイートは経済学の立場からの考察ですが、この場合、会計ルールを自由に決められるならば、自己の効用を最大化させるように決めるのが、合理的経済人の振る舞いです。
つまり、誰もが自分の都合のいい「俺の会計基準」を考えていいということです。
そしてそれが民主的な手続きを経て、社会全体で合意されたとき、「俺の会計基準」の総集版が「会計基準」となります。
会計基準と社会的選択論
しかしながら、社会の構成員全員が納得できるような民主的な意見集約の方法はないと言われており、アローの不可能性定理(Wikipedia)として知られています。
したがって、会計基準が社会の総意で決まるとしても、万人が納得するような会計基準は達成できないのではないか、というのが冒頭の趣旨です。
残念ながら私はこういった経済学の議論について何も知らないので、あくまで個人的な仮説の域を出ませんが、しかし会計基準の設定という問題を考える際には、こういった「社会的選択理論」の考え方が有用になるのではないかと考えています。
管理会計のルールについて
会計基準は、社会的合意によって決まる会計情報の表現規則です。
しかしこれはあくまで財務会計として社会に報告するために依拠すべき基準であって、社内の意思決定のためにこの会計基準を使わなくてはいけないわけではありません。
社内の意思決定のために(会計基準とは異なるかもしれない規則で)集計された情報を利用することは当然許されています。
そのような会計の枠組みは、管理会計として知られています。
管理会計に用いる会計ルールは、前述の「俺の会計基準」に近いもので、自社にとって最も都合のいいルールとして定めてよいものです。
例えば「広告宣伝費は自社でコントロールできるので、営業損益に入れないほうが実は経営成績を把握しやすいのだ」というような考えがある場合には、「広告費控除前営業利益」のような損益項目を使うのが適当でしょう。
このように、管理会計は財務会計とは異なるルールで会計情報を作ることができます。
会計は本来、企業の経済活動をわかりやすく表現するための規則です。
それの規則が社会的に合意されているかどうかによって、財務会計と管理会計の違いは生じていますが、本来会計は「自由」なものなのだと思います。