このブログでは、私が見聞きしたことやアイデアを発信しています。たとえば【君の知らない複式簿記】シリーズでは、複式簿記の持ついろいろな側面を紹介しています。
こうした取り組みは既存研究のインプット(つまり勉強)とちょっとしたアイデアの追加から出来ています。
この記事ではそんな趣味の活動を「研究」に消化させるために必要となるポイントについて考えます。
論文を書く
研究は論文として社会に発信しなければ、認められません。
研究として認められるためには、まだ知られていない発見を自分以外の誰かに伝わる形で発信し、発見の価値を評価してもらうというプロセスが必要です。
谷本(2020)『研究者が知っておきたいアカデミックな世界の作法』では研究論文を書くポイントとして以下の4点が挙げられています。
- 誰に読んでもらいたいのか
- 何を伝えたいのか、あなたの貢献はどこにあるのか
- なぜそれを主張したいのか
- あなたの考えが学界や実務界でどんな意味があるのか
研究には、それを伝えたい相手と、伝えることによる効果、伝えたい理由、そして意味が必要だということです。そしてそれは、伝えたい人に伝わる言葉で書かれている必要があります。
自分が面白いと思っていることであっても、他人が関心を持ってくれるとは限りません。自分以外の誰かに価値を見出してもらえるような内容と手段で、それを表現する必要があります。
日々の探求を「勉強+α」で終わらせず「研究」に仕立て上げるためには、以上のようなポイントを意識しながら、発見を論文として発信する必要があります。
以前、とある学会で【君の知らない複式簿記】シリーズを読んでくださった会計学の先生がいらっしゃいました。
彼もまた、発見は誰もが見られるような形で発信しなければ意味がない、とおっしゃっていました。ブログによる発信も「誰もが見られる発信」に該当するので、その先生は私の記事を面白いと言ってくださいました。
ただ、これを「研究」と称するためにはやはり、アカデミックコミュニティに受け入れられる形で(つまり論文として)発表する必要があるのだろうなぁと感じています。
独善的になることを避ける
社会における課題や問題を解決したり、解決のヒントを提示できているか、という視点は重要です。
現代社会の背景や潮流を理解し、その問題を取り上げることの意味を伝えることが、研究には必要になります。
その際、自分の学問分野において蓄積されてきた知識や方法などの「規律」を尊重することが求められます。過去の蓄積を否定したり、全く別の「文脈」をいきなり採用しても、その価値を理解してもらうのは難しいからです。
谷本(2020)『研究者が知っておきたいアカデミックな世界の作法』では、既存のディシプリンとそこでの作法に乗ることが大切であると表現されています。
伝統に則り論文を書き、評価されること、そして既存を批判しないことが重要ということです。
趣味の探求を続けていると「独善的にならない」という点を忘れがちです。
自分は興味を持って探求していても、それがアカデミックな世界で評価されなければ「研究」とは呼べません。
趣味の探求を「研究」にするためには、学問の規律に則りながら、偉大なる先人たちが作り上げた体系に貢献する姿勢が必要なのだと思います。
自分の研究の位置づけ
自分の研究にどんな意味があるのかという点を、自身の中にある大きな研究目的のなかに位置づけることで、研究の一貫性が生まれます。
時代の潮流に乗るということは、社会における課題解決という観点からはとても大切です。しかし、常に変化する環境のなかで、具体的な変化に流されず現象の本質に迫るような研究をすることもまた重要です。
自分の中に「哲学」をもち、一本貫く柱をもちつつ、その時々に求められる課題解決の視点を提供することが重要なのだと思います。
日々の探求のなかで、自分が持っている根源的な問題意識や野望を明確にし、それを学術研究という「文脈」に置くことが求められています。
参考文献
この記事は以下の書籍を参考にしました。タイトルの通り、学術界における心がけや、国際学会への論文投稿の方法などについて、社会科学系を想定しながら解説されています。