複式簿記会計の公理:Renes(2020)の紹介

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簿記や会計の諸性質を演繹的に導けるような基本原理、すなわち簿記・会計の公理を探し出そうという試みは、1960年代頃から続いています。

【参考記事】簿記・会計の公理化に挑んだ天才たち

複式簿記に基づく会計(複式簿記会計)の公理に関する研究は現代の会計研究のメインストリームに位置付けられてはいません。しかし研究そのものは脈々と続いているようです。

この記事ではSander Renesの2020年の論文”When Debit=Credit, The Balance Constraint in Bookkeeping, Its Causes and Consequences for Accounting”で提示された6つの命題からなる公理を紹介します。

Renesの公理 A set of Axioms for bookkeeping

Renes(2020)では6つの命題を複式簿記会計の公理として提示しています。それは以下のような内容です。

  1. 簿記の対象となる事象と、記録主体となる事業体が存在する
  2. 会計数値は符号付実測度として定義される
  3. 記帳のための有限値のリスト(勘定科目の集合)が存在する
  4. すべての会計数値はある共通の貨幣的単位によって測定される
  5. “何も取引が起こらなかった”という事象にはゼロの会計数値が対応付けられる
  6. リストの最終要素は残余数値として、他の要素の合計額を吸収する

1.~4.はマテシッチや井尻が提示したものであるとRenes(2020)は主張しています。

これら6つの主張が意味するところを簡単に解説します。

公理1:会計事象と事業体

1つ目の主張は、複式簿記会計の対象であり、事業体がこれを記録対象とするような事象の集合\( \Omega\)が存在するということです。

この主張は、会計報告の主体として事業体が存在すること、そして会計報告の対象となる事象の集合が存在することを求めています。事象の集合\( \Omega\)の元\(\omega\)は、取引や複数の取引の完全な履歴を表しています。

 

公理2:測度としての会計数値

2つ目の主張は会計数値の定義に関するものです。Renesの公理において、会計数値は\( \Omega\)上で定義された符号付実測度\( q:\Omega\to\mathbb{R}\)として定義されます。会計数値を測度として定義することで、会計数値に加法性を持たせることができます。

ただし注意点があります。原論文では会計数値を測度 measureと定義していますが、測度はσ-加法族上で定義されます。原論文ではσ-加法族や可測空間について何ら言明していません。

従って公理1で定義した「事象」を(確率論の用語として)σ-加法族と考えるか、会計測度\( q\)の定義域を\( \Omega\)ではなく\( \Omega\)のσ-加法族と読み直す必要があると思われます。

仮に前者の場合、事象\( \Omega\)のもとになった集合(確率空間でいうところの標本空間に相当する集合)が存在することを暗に示しています。

 

公理3:勘定集合

3つ目の主張は、会計数値を記録するためのn個の要素からなる有限集合の存在をいっています。この集合は勘定科目の集合と解釈できます。

公理2で定義された会計数値は勘定集合に対応付けられています。勘定科目は添字\( i\)で区別します。例えば第1番目の勘定は「現金」勘定、\( q_1\)は「現金」勘定の残高という具合に、勘定科目とその残高が定義されます。

勘定の数nは組織によって異なる値をとります。個人商店の会計帳簿では十数個の勘定、大企業では数百の勘定というふうに、科目数(勘定科目の集合の大きさ)は事業体によって異なります。

 

公理4:貨幣測定

4つ目はいわゆる「貨幣的評価の公準」です。

Renes(2020)ではこれを、すべての会計数値はある共通の貨幣的単位で定義され、数値の効用を測定する関数\( U\)が存在して

\begin{equation} \begin{split}
q_i=q_j\Rightarrow U(q_i)\simeq U(q_j)~\left(\forall q_i,q_j\right)
\end{split} \end{equation}
が成り立つと表現しています。

公理2と公理4から、異なる勘定科目であってもその数値を足し合わせることができる、という命題が導けます。

また、複数の勘定残高を合計たり、比較したりできます。各要素の数値は同じ貨幣単位で表現されるからです。これは強い仮定ですが、組織内外での比較を簡単にします。

 

公理5:仕訳なし

5つ目の主張は、経済事象がない(何も起こっていない)という事象もしくは事象の履歴は、0と評価されるというものです。この空の事象\( \omega_0\in\Omega\)について、任意の\( q_i\)に対して\(q_i(\omega_0)=0 \)となります。

この性質は、何も事象が起こらなかったときには、会計数値として何も記録しない、という性質を表しています。これは望ましい性質といえます。何も起こらなければ帳簿に変化は起こりません。

 

公理6:貸借対照制約(バランス制約、balance constraint)

6つ目は貸借のバランスに関する主張です。勘定科目の集合\( \bar{A}\)において、ある締め勘定(closing account)\( \bar{a}_n\)が存在して、その組織における残高の残りを吸収する(absorb)というものです。原論文ではこれを

\begin{equation} \begin{split} -\bar{a}_n =\sum_{i}^{n-1}\bar{A}_i\end{split} \end{equation}
と表しています

資産勘定の合計値から負債勘定の合計値を差し引いた残余額が、資本(持分)勘定として「吸収される」ように、貸借対照制約は貸借を一致させるようなことを示しています。

ただし、公理の中では「勘定科目」である\( \bar{A}_i\)の和は定義されていませんので、上記等式は不適切な表現だと思われます。本来は各勘定科目に対応する会計数値\( q_i\)を用いて表現すべきでしょう。つまり、バランス制約は任意の事象\( \omega \in \Omega \)に対して

\begin{equation} \begin{split}
-q_n(\omega)=\sum_{i}^{n-1}q_i(\omega)
\end{split} \end{equation}
が成り立つ、と表すのが正確だと考えます。

※追記
原論文の

\begin{equation} \begin{split} -\bar{a}_n =\sum_{i}^{n-1}\bar{A}_i\end{split} \end{equation}
という表現について、式中に現れる\(\alpha,A_i\)はパチョーリ群に関する記号です。公理にはパチョーリ群の定義が含まれていません。

参考文献

この記事で紹介したRenes(2020)はこちらからダウンロード可能です。

本記事の執筆にあたり、以下の書籍を参考にしました。測度論に関する由緒ある教科書です。σ-加法族や測度の定義など、基本的な事項を学ぶことができます。

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