AIに仕事を奪われた私たちに何が出来るのか

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「AIやロボットによって、人間は単純作業から開放され、付加価値の高い業務に集中できる」

そんな声を聞きます。

本当にAIは私たちの仕事を楽にしてくれるのでしょうか?

本記事は「AIで私たちは単純作業から開放されるのか」という主張に対する私見を述べつつ、高付加価値業務にシフトすることの難しさに触れながら、来るべきAI時代を前に私達は何をすべきかを考察します。

 

機械は単純作業の担い手になるのか?

本記事では「機械」という言葉を用います。機械とは「人間の作業を支援・代替する、自動化等のコンピュータ技術全般」であると定義します。

一般に「人工知能(AI)」と呼ばれるものよりも、本記事における機械の定義は広い範囲を指しています。多くの(専門家でない人の)AIに関する主張は、本記事の意味での機械を指すと考えたほうが自然な場合も多くあるため、本記事ではいわゆるAIという言葉と機械とを同義と捉えます。

したがって本記事のタイトルは「AIで仕事を奪われた私たちに何が出来るのか」としています。

AIの実体

AIを含む近未来の労働力としての機械の実体は、コンピュータのプログラムです。

プログラムですから、決まった同じ処理を繰り返したり、ルール通りの手続きをひたすら行うことは大得意といえます。

プログラムされた機械は単調な作業に文句も言わず、疲れもせず、ルールを適切に決めればミスをすることもありません。

こうした特性から機械は、「単純作業」=「プログラミング可能な作業」を行う主体として、人間よりも労働に適した存在であると言えます。

つまり機械は、これまで人間が行ってきた単純作業を代替する可能性を十分に秘めているのです。

 

AIに仕事を代替された人はどうなるのか?

機械が単純作業をやってくれるとすると、今まで単純作業を任されてきた人は、別の仕事を割り振られることになります。

この点に関して「人間が単純作業から開放されれば、より付加価値の高い仕事に集中できる」という主張があります(たとえば日経新聞2017/11/27の記事)。

しかし、私は機械に・AIに仕事を代替された(≒AIに仕事を奪われた)ことで生まれた余剰人員が、みな付加価値の高い仕事にシフトできるとは思えません。

この文脈における「付加価値の高い仕事」とは、

  1. 機械がその担い手となることが難しい業務であり
  2. 付加価値(資源投入量を大幅に上回る利潤)が大きな仕事

と解釈できます。本記事で特に注目したいのは2.の性質です。

人間が行うべき単純作業が減って、付加価値が高い仕事にシフトする、という流れの背後には、

  1. 高付加価値業務は豊富にある
  2. 単純作業をしてきた人は、高付加価値業務も担当できる

という前提があるように思えます。

この前提はなりたっているのでしょうか。

 

高付加価値業務、そんなにたくさんありますか?

第一に、人間が行うべき高付加価値業務というものは、そんなにたくさんあるのでしょうか?

高付加価値業務とは1. 機械に担わせるのが難しく、2. 付加価値が大きい仕事と定義しました。

もしこのような業務が豊富に存在しているなら、現在それに着手できていないのは、どういう理由によるものでしょうか?単純作業が多いから(つまり手が足りないから)なのでしょうか?

企業は利益獲得のため合理的に行動しますが、高付加価値業務が十分にあるなら、これまでも採用を拡大し、高付加価値業務を推進してきたはずです。

投入する資源にかかるコスト(人材に対する報酬)を上回る利潤を生み出せるのが高付加価値の定義ですから、そういう機会があれば(合理的な企業行動を前提とすると)すでに着手されているのではないでしょうか。

労働力不足が問題視されているのは確かですが、単純作業に忙殺され高付加価値業務が出来ていない、という言説は、あまり聞かないように思われます。

高付加価値業務がそう多くない環境で、単純作業を機械に代替させたら、余剰人員分を配置転換する先がないため、人員整理が行われると考えられます。

少ない人員でより利益を高められるという意味で、企業のROIは上がるかもしれませんが、少なくとも十分に高付加価値業務のストックがなければ、単純作業をAIに代替させても、人員のシフトは行えないでしょう。

単純労働を機会に任せることで生じた余剰人員の受け皿になるほど、高付加価値業務がたくさんあるとは思えません。

 

高付加価値業務、すぐにできますか?

第二に、これまで単純作業に従事してきた人が、人間にしかできない高付加価値な仕事ができるのでしょうか?

単純作業に従事してきた人材は、その業務プロセスを熟知し、効率的な手順で業務を遂行できる貴重な資源です。しかし、その能力が高付加価値業務においても発揮できるかは、議論の余地があります。

本記事において、機械が担える単純作業とは、プログラミング可能なルールに基づく業務を指します。一方、高付加価値業務はすでに述べたとおり、機械化困難な業務を指し、明確なルールや法則を示すのが難しい業務が想定されます。

したがって、機械が担える業務と高付加価値業務は、その内容や性質を大きく異にするものであるといえるでしょう。前者はルールの習熟と堅殻な遵守が、後者は総合的判断や感性が求められると思われ、求められるスキルに明確な差異があります。

付加価値の高い仕事の遂行にあたり、広範な専門知識や技術や経験が要求される場合には、それらを習得するコストもかかります。そのコストを負担するのは誰なのでしょう?企業でしょうか?それとも働く当事者でしょうか?

もし企業がこうした教育の提供者であるとするなら、多大なコストをかけて人材をシフトさせることは経済合理的なのか、検討の余地があります。

先日、日本を代表する大企業のトップや、経済界のリーダーが、終身雇用の限界を口にし始めましたが、それは教育投資の不確実性の高まりも関係していると思われます。

【参考記事】
終身雇用のインセンティブとは何だったか?そして、なぜそれが破綻したのか?

社会環境の変化によって知識やスキルがすぐに陳腐化するリスクがあり、いまや教育投資はリスキーとされています。

機械による単純作業の代替を上回るペースで、今まで単純作業を担ってきた人間を高付加価値業務に転換させるのは、簡単なことではないように思います。

単純作業と高付加価値のそもそもの構造が違う以上、人員のシフトには多大なコストを要するはずですが、今その体力が企業にあるのでしょうか。

 

人員削減の波はすぐそこまで

メガバンクなどでは、無人店舗の導入やロボの活用によって万単位で人員を減らしているようです。現状の人員は解雇しない、という方針のようで、採用を絞るなどして調整しているそうですが、それも結局、従来入社すべきであった人員が採用されないという意味で、実質的には人員整理と大差ありません。

AIの活用やITツールによる業務の自動化によって、人間が単純作業から開放されたのはよいことかもしれませんが、現状、それによって雇用も減ってるように思えます。単純作業から解放された従業員は、高付加価値業務を担当するはずではなかったのでしょうか。

実際に起こっている人員削減の波を考えると、「単純作業から高付加価値業務へ」という考え方は、あまり現実的でない気がします。

 

AIに仕事を奪われた私たちに何が出来るのか

単純作業を担ってきた私たち人間が、機械に・AIにその仕事を奪われようとしたとき、私たちは何が出来るでしょうか。

AIを使う側に回る。

AIとコスト競争をする。

AIにはできない人間的な働き方にかじを切る。

やりようはいろいろあります。

大切なのは、今起ころうとしている変化を察知し、情報を収集し理解することです。そして、持てる知識と経験を総動員して、自分の価値を磨いていくことです。

恐れすぎることなく、しかし楽観視するでもなく、これから起ころうとすることを注意深く観察し、自分にできることから始めていきましょう。

自ら課題を見つけ、解決し、自己を高め続けられるのは、機械には真似のできない、極めて「人間らしい」営みです。

学びを止めることなく、常に前進し続けましょう。

【参考記事】
繁忙期にも学びを止めないための3つの心がけ

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