Renesの簿記公理に関する論点:企業の活動と会計測度について

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複式簿記の公理として近年提示されたのが、Renesの簿記公理です。

【参考記事】複式簿記会計の公理:Renes(2020)の紹介

Renesの簿記公理は従来提示されてきた公理よりも完結かつ理解しやすいものですが、いくつか気になる点があります。

この記事ではRenesの簿記公理に関して論点となる点を紹介します。

本記事で扱うσ-加法族や符号付測度については、以下の書籍を参考にしています。

Renesの簿記公理における事象と会計数値

Renesの簿記公理では、会計報告の対象となる事象の集合\( \Omega\)を与え(公理1)、会計数値を測度(measure)として定義しています(公理2)。ある勘定科目\( i\)に対して、事象\( \omega\in\Omega\)に対応する会計数値として、測度\( q_i(\omega)\)を対応付けます。

事象\( \omega\)とは、例えば「商品100円分を売上げ、代金を現金で収受した」というような、企業の活動を指すと考えられます。この企業における第1番目の勘定科目が「現金」であったとすると、この取引\( \omega\)に対して、\( q_i(\omega)=100\)という測度が与えられる、というのがRenesの簿記公理における主張です。

Renesの簿記公理を素直に読むと、\( \Omega\)はある集合のσ-加法族になっているはずです。なぜなら、会計数値としての(符号付)測度\(q: \Omega \to \mathbb{R}\)は\( \Omega\)を定義域にしているからです。

\( \Omega\)がある集合\( X\)のσ-加法族だとすると、\( \omega\in\Omega\)の補集合もまた\(\Omega\)に属します。つまり\( \omega^c\equiv X \backslash\omega\in\Omega\)です。この性質はσ-加法族の条件のひとつです。

このような測度論的な基礎的事項がありつつも、Renesの論文ではσ-加法族という言葉は表れてこず、σ-加法族のもととなる集合\( X\)についても言及されていません(また、確率論では\( \Omega\)をσ-加法族ではなく”もととなる集合”の意味で使うので若干ミスリーディングです)。

 

会計数値を測度として定義する際の論点

事象\( \omega^c\)とは、事象\( \omega=\)「商品100円分を売上げ、代金を現金で収受した」の補集合ですが、これがどんな取引を指すのかが論点になります。

\( \omega^c\)という事象は、直感的には「事象\( \omega\)ではない事象」を表します。なので素朴に考えるなら、事象\( \omega^c=\)「100円の現金売上をしていない」と解釈できます。通常、このような事象は会計報告の対象となる取引ではありません。したがって仮に測度を与えるとしても0とするのが適当と思われます。

現実には会計報告の対象ではないけれども、公理に忠実に考えれば会計数値が与えられるという状況は、簿記会計の公理化・抽象化における重要な視点です。

企業の取引の集合をσ-加法族として定義し、会計数値を測度として定義することは、現実の会計報告よりも広い範囲で会計報告を求めることになります。

Renesが提示したのは簿記会計の公理ですから、いまの会計のありようをそのまま描いているわけではなく、公理として描ける簿記世界が現実の簿記世界よりも広くなるのは当然です。

ですが、それによって不都合が生じたのでは困ります。

仮に事象\( \omega^c=\)「100円の現金売上をしていない」の部分集合として\( A_1=\)「備品100円分を売却し、代金を現金で収受した」とか\( A_2=\)「商品100万円分を売上げ、代金を現金で収受した」という互いに素な取引が含まれるとすると、測度のσ-加法性から、第1番目の勘定科目「現金」に対応する会計数値は

\begin{equation} \begin{split}q_1(\omega^c)&=\cdots+q_1(A_1)+q_1(A_2)+\cdots\\&=\cdots+100+100000+\cdots\end{split} \end{equation}
のように測度が与えられることになります。

\( \omega^c\)が取引でなければ会計数値\( q_1(\omega^c)=0\)となるのが現実の会計慣行に合っていますが、\( \omega^c\)に適当な分解が存在したとき、各分解要素の測度の和が0になるという結果に会計的な解釈を与えられるかどうかは、全く不明です。

これはRenesの公理というより、むしろ「会計数値を規定する測度\( q\)をどう定めるか」という問題なのですが、実際の会計慣行を考えたときに適当な\( q\)がすぐ示せないとなると、公理の普及に悪影響があると言わざるを得ません。

企業の取引という現実世界の複雑な出来事を測度論の言葉で描き切れるのか、まだまだ検討の余地がありそうです。

 

参考文献

この記事で紹介したRenes(2020)はこちらからダウンロード可能です。

本記事の執筆にあたり、以下の書籍を参考にしました。σ-加法族や符号付測度の定義など、測度論の基礎を学ぶことができます。

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