AIなどの新しいテクノロジーが,人間の仕事を奪うという主張をよく聞きます。
特に,経理や監査の事務員は,機械に代替される確率が高いという研究もあります。
本記事では,人間の仕事が機械に代替されるか否かという「ゼロイチ」の議論ではなく,人間と機械が互いの良さを発揮できるような協働のしかた,ヒューマン・マシン・ミックスについて考えます。
経理の仕事が機械に置き換わらない理由
フレイとオズボーンの論文が公表された2013年以降,ブロックチェーンやAI技術の進展もあり,「経理の仕事は機械に置き換わる」という主張をよく目にするようになりました。経理の他にも,ルール化可能な単純作業は機械が担うことになるだろうと言われ,実際それが実現している例もあります。
しかし,機械が人間に取って代わるというショッキングな予想に反して,現実にはまだまだ人の手による単純作業が残っているように思います。経理業務でいえば領収書の内容を見て会計処理のために仕訳を行うといった業務を,人間の手で行なっているケースは多々あります。
比較的単純と思われる仕事であっても一向に機械に置き換わらないのは,いったいなぜなのでしょうか。
私がもっている一つの仮説は「人間に任せたほうが,楽で,安いから」です。「人間に任せたほうがコスパがいいから」といってもいいでしょう。
人間の仕事というのは,時にアバウトさを求められます。ルールにない働きを求められたり,ルールに書いてあっても前提や文脈が異なるためにルールに反する(ように見える)働きを求められることすらあります。
このようなアバウトな働きは機械には難しいものですが,人間に任せればある程度「空気を読む」ように動いてくれます(それがときにアクシデントに結びついたりもしますけれど)。
状況に応じて柔軟に動いてくれる人間は,組織の仕組みを担う主体として,ある種の適性があるのです。
また,仮に組織の仕組みをルール化・プログラム化できたとしても,それに莫大なコストがかかったり,組織の仕組みが変化して機械が陳腐化したりすると,経営効率は高まりません。
ならばいっそ,そこそこのお給料で自ら考え動いてくれて,なんなら働くルールまで整備してくれたりする人間に任せておこうと考えるのは,組織の意思決定者として自然なことです。
人間か機械かという選択,ヒューマン・マシン・ミックス
業務の担い手として人間を使うか機械を使うかというのは,既に経営管理における選択問題となっています。RPAがデジタルレイバーと呼ばれ労働主体のひとつとしてもてはやされたのも記憶に新しいです。
自律的に考え柔軟に行動してくれる人間と,疲れを知らずケアレスミスもせず高い処理能力を発揮してくれる機械,そのいずれを用いるべきかという問題は,その組織における業務の特性や人間・機械の調達コストにも依存する経営判断です。
人間も機械も双方にメリット・デメリットがあります。経営効率を高めるためには,適切な業務に適切な労働主体を配分することでが重要です。
限りある経営資源のなかで業務を効率的に遂行するために,人間と機械をどのように組み合わせるかという問題を「ヒューマン・マシン・ミックス」と呼ぶことにしましょう。
ヒューマン・マシン・ミックスの問題は,人間と機械という異なる特性をもつ労働主体の存在を前提としたときに,経営効率を高めるためにそれらをどのように組み合わせるかという考え方であり,人間と機械の協働を前提とした考え方です。
ヒューマン・マシン・ミックスの時代に気をつけたいこと
ヒューマン・マシン・ミックスという考え方の中で,労働主体として人間と機械が並列に扱われていることに抵抗感を感じることもあるかもしれませんが,そういった流れは着実に進んでいます。
あらゆる意味で人間が機械に劣るということはないでしょうから「どんな仕事を人間が行い,何を機械に任せるか」というヒューマン・マシン・ミックスの問題は,これからもトピックになるでしょう。
一方で気をつけたいこともあります。
ヒューマン・マシン・ミックスという視点で考えると,機械のような働き方を強みとしている人は,機械が安価に利用可能になった時に競争優位性を失います。たとえば定型作業の処理が速いとか,ルールを多く知っている(だけ)ということを強みとしている人は,安価な機械の登場によって機械に代替されやすくなります。
したがって,これからのヒューマン・マシン・ミックスの経営環境において,機械的な働きを望んでいる人は,近い将来機械に代替される可能性を頭に入れておくべきでしょう。
人間と機械とは働き方も期待される役割も違うのだということを理解した上で,人間に求められる働き方は何なのかということを理解しておく必要があるのではないかと思います。