【君の知らない複式簿記 補遺】誘導法によるキャッシュ・フロー計算書とバランス・ベクトル

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この記事では誘導法によるキャッシュ・フロー計算書を、バランス・ベクトルによって表現する方法について述べます。

誘導法とは、

キャッシュ・フローを計算するために、収入及び支出の勘定組織を設け、そのつどそれらを独自の勘定に記録し、それに基づいて誘導的にキャッシュ・フローを計算(鎌田『キャッシュ・フロー会計の原理』p.297)

する方法のことをいいます。平たく言えば、損益計算書のような独立の科目を設けて仕訳を切り、キャッシュ・フロー計算書をダイレクトに作成しようというアプローチです。キャッシュ・フロー計算書の意義、作成方法については別の記事をご覧ください。

日々の取引でキャッシュが変動する場合に、キャッシュ・フロー計算書の項目を用いて仕訳を切ることで、キャッシュ・フロー計算書の作成負荷が大幅に低減されることがと期待されます。

以下では誘導法によるキャッシュ・フロー計算書を、バランス・ベクトルを用いて作成してみます。この記事で提案する方法は参考文献に示されている方法と異なり、既存の複式簿記の構造を変えることなく実現可能な方法です。

キャッシュ・フロー項目を含むバランス・ベクトル

以下のような借方貸方のT字形(Tフォーム)をした試算表を縦ベクトルとして表現したものが、バランス・ベクトルです。

\[ \begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & k & 負債 & l\\
非キャッシュ資産 & a& 純資産 & e\\
費用 & c & 収益 & r\\
\end{array}
\leftrightarrow \left(
\begin{array}{r}
k\\
a\\
-l\\
-e\\
-r\\
c \end{array} \right)\leftarrow \left( \begin{array}{c} キャッシュ\\非キャッシュ資産\\ 負債\\ 純資産\\ 収益\\ 費用 \end{array} \right)\]

試算表の貸借が一致するという複式簿記の原則は、バランス・ベクトルの要素の和が0であることが対応しています。

バランス・ベクトルについてより詳細な解説は、以下の記事を参考にしてください。

【君の知らない複式簿記4】簿記代数の教科書『Algebraic Models For Accounting Systems』とバランスベクトル

 

バランス・ベクトルは試算表だけでなく、仕訳を表すことも可能です。当期の仕訳

\[ \begin{array}{ccrccr}
(借)&費用(人件費) & 20 &/(貸)& キャッシュ & 20\\
(借)&キャッシュ & 100 &/(貸)& 収益(営業) & 100\\
(借)&キャッシュ & 60 &/(貸)& 負債 & 60\\ \end{array} \]

の3つをバランス・ベクトルで表すと
\begin{equation} \begin{split}
\left( \begin{array}{c} キャッシュ\\非キャッシュ資産\\ 負債\\ 純資産\\ 収益\\ 費用 \end{array} \right)=
\left(
\begin{array}{r}
-20\\
0\\
0\\
0\\
0\\
20 \end{array} \right),
\left(
\begin{array}{r}
100\\
0\\
0\\
0\\
-100\\
0 \end{array} \right),
\left(
\begin{array}{r}
60\\
0\\
-60\\
0\\
0\\
0 \end{array} \right)
\end{split} \end{equation}
となります。

 

通常のキャッシュ・フロー計算書の作成方法

期首試算表が以下のように与えられたとしましょう。

\[\begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & 200 & 負債 & 100\\
非キャッシュ資産 & 200& 純資産 & 300\\
費用 & 0 & 収益 & 0\\
\end{array}
\leftrightarrow
\left(
\begin{array}{r}
200\\
200\\
-100\\
-300\\
0\\
0 \end{array} \right)
\]

この期に上記の3つの仕訳が切られたとすると、期末の試算表は
\[\begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & 340 & 負債 & 160\\
非キャッシュ資産 & 200& 純資産 & 300\\
費用 & 20 & 収益 & 100\\
\end{array}  \leftrightarrow
\left(
\begin{array}{r}
340\\
200\\
-160\\
-300\\
-100\\
20 \end{array} \right)
\]
となります。キャッシュは200から340に140だけ増加しています。バランス・ベクトルの要素和が0になっていることに注意しましょう。

キャッシュ・フロー計算書はキャッシュの増分140を営業活動・投資活動・財務活動の3つに区分します。仕訳の内容から、以下のようなキャッシュ・フロー計算書が得られます。
\begin{array}\\
&営業活動&80\\
&~~営業収入&100\\
&~~人件費支出&20\\
&投資活動&0\\
&財務活動&60\\
&~~借入による収入&60\\
\hline
&キャッシュ・フロー&140\\
&期首キャッシュ&200\\
&期末キャッシュ&340
\end{array}

この期にはキャッシュの変動を生じさせる3つの取引が行われました。3つの仕訳で変動するキャッシュはどの区分に属するか明示されていたので、キャッシュ・フロー計算書を作成することは容易でした。

しかし実際の会計実務においては期中に大量の取引が行われますから、それら一つ一つを決算手続きの中で通査して区分を把握することは現実的ではありません。そこで、期中のキャッシュを、キャッシュ・フロー計算書の項目名を用いて作成することで、事務簡略化を試みます。それを実現させるのが誘導法によるキャッシュ・フロー計算書です。

 

キャッシュ・フロー計算書科目を用いた仕訳とバランス・ベクトル

期中の3つの取引

\[ \begin{array}{ccrccr}
(借)&費用(人件費) & 20 &(貸)& キャッシュ & 20\\
(借)&キャッシュ & 100 &(貸)& 収益(営業) & 100\\
(借)&キャッシュ & 60 &(貸)& 負債 & 60\\ \end{array} \]

に登場する貸借対照表科目「キャッシュ」を、キャッシュ・フロー計算書の科目に修正してみましょう。キャッシュ・フロー計算書科目によって起票した仕訳は以下のようになります。
\[ \begin{array}{ccrccr}
(借)&費用(人件費) & 20 &(貸)& 人件費支出 & 20\\
(借)&営業収入 & 100 &(貸)& 収益(営業) & 100\\
(借)&借入による収入 & 60 &(貸)& 負債 & 60\\ \end{array} \]
これをキャッシュ誘導表示と呼ぶことにします(キャッシュの出入りがあるにも関わらず、貸借対照表科目としてのキャッシュが仕訳に現れないので、戸惑うかも知れません。しかしこの会計処理がかえって好都合なのです)。

仕訳にキャッシュ・フロー計算書の科目を登場させたの合わせて、バランス・ベクトルも次のようなものを考えます。

\begin{equation} \begin{split}
\left( \begin{array}{c}
キャッシュ\\
非キャッシュ資産\\
負債\\
純資産\\
収益\\
費用\\
営業収入\\
人件費支出\\
借入による収入\\
\end{array} \right)
\end{split} \end{equation}

バランス・ベクトルの末尾に、キャッシュ・フロー計算書の科目が追加されているのがわかるでしょう。

このようなバランス・ベクトルを考えたとき、キャッシュ誘導表示の仕訳は、以下のように表せます。

\begin{equation} \begin{split}
\left( \begin{array}{c}
キャッシュ\\
非キャッシュ資産\\
負債\\
純資産\\
収益\\
費用\\
営業収入\\
人件費支出\\
借入による収入\\
\end{array} \right)
=\left( \begin{array}{c}
0\\
0\\
0\\
0\\
0\\
20\\
0\\
-20\\
0\\
\end{array} \right),
\left( \begin{array}{c}
0\\
0\\
0\\
0\\
-100\\
0\\
100\\
0\\
0\\
\end{array} \right),
\left( \begin{array}{c}
0\\
0\\
-60\\
0\\
0\\
0\\
0\\
0\\
60\\
\end{array} \right)
\end{split} \end{equation}

どのベクトルも要素和がゼロであることが確認できます。

キャッシュ誘導表示による仕訳では、キャッシュの増減はすべてキャッシュ・フロー計算書の科目として起票され、貸借対照表科目としてのキャッシュは登場しません。これは、損益項目が損益計算書の科目を用いて仕訳に登場し、貸借対照表科目である利益剰余金(繰越利益剰余金)が登場しないことと全く同じ理屈です。

 

誘導法によるキャッシュ・フロー計算書

さて期首試算表は

\[
\begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & 200 & 負債 & 160\\
非キャッシュ資産 & 200& 純資産 & 300\\
費用 & 0 & 収益 & 0\\
営業収入&0 &人件費支出&0\\
借入による収入&0& & \\
\end{array}\leftrightarrow
\left(\begin{array}{r}
200\\
200\\
-100\\
-300\\
0\\
0\\
0\\
0\\
0
\end{array} \right)\leftarrow
\left(\begin{array}{c}
キャッシュ\\
非キャッシュ資産\\
負債\\
純資産\\
収益\\
費用\\
営業収入\\
人件費支出\\
借入による収入\\
\end{array} \right)
\]
でしたから、上記仕訳を反映させることで、以下の期末試算表を得ます。

\[
\begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & 200 & 負債 & 160\\
非キャッシュ資産 & 200& 純資産 & 300\\
費用 & 20 & 収益 & 100\\
営業収入&100 &人件費支出&20\\
借入による収入&60& & \\
\end{array}\leftrightarrow
\left(\begin{array}{r}
200\\
200\\
-160\\
-300\\
-100\\
20\\
100\\
-20\\
60
\end{array} \right)\leftarrow
\left(\begin{array}{c}
キャッシュ\\
非キャッシュ資産\\
負債\\
純資産\\
収益\\
費用\\
営業収入\\
人件費支出\\
借入による収入\\
\end{array} \right)
\]

期末試算表をこのような形で得られれば、財務三表を作成するのは容易です。期中取引の仕訳を切る際に貸借対照表科目のキャッシュを使わなかったので、期首と期末のキャッシュの額は変化していません。しかし、以下のようにして、期末キャッシュの金額を適切に求められます。

キャッシュ・フロー計算書は上記試算表のキャッシュ・フロー項目部分(バランス・ベクトルの末尾の3要素)のみを抽出すれば
\begin{array}\\
&営業活動&80\\
&~~営業収入&100\\
&~~人件費支出&20\\
&投資活動&0\\
&財務活動&60\\
&~~借入による収入&60\\
\hline
&キャッシュ・フロー&140\\
&期首キャッシュ&200\\
&期末キャッシュ&340
\end{array}と即座に作成できます。期首におけるキャッシュの貸借対照表計上額200に期中増分140を足すことで、期末おけるキャッシュの貸借対照表計上額340が得られます。

損益計算書も作成できます。

\[
\begin{array}{cr}\\
&収益&100\\
&費用&20\\
\hline
&当期純利益&80\\
\end{array}\]

期首における純資産の金額300に当期純利益80を足すと、期末純資産が380と求められます。

以上のように計算されたキャッシュと純資産の金額を踏まえて貸借対照表を作成すると

\[\begin{array}{cr|cr} \hline
キャッシュ & 340 & 負債 & 160\\
非キャッシュ資産 & 200& 純資産 & 380\\
\end{array}\]
となり、たしかに貸借が一致しています。

以上のように、キャッシュ変動を伴う期中取引の仕訳を考える際に、キャッシュ・フロー計算書の科目を用いることで、キャッシュ・フロー計算書の作成の手間が大幅に削減されます。また、誘導法によるキャッシュ・フロー計算書の作成は、バランス・ベクトルで表現することが可能です。

実務負担を軽減しつつ、複式簿記の構造を壊さない誘導法が、実務的に広く受け入れられることを願っています。

 

参考文献

誘導法によるキャッシュ・フロー計算書の作成方法については、以下のテキストが参考になります。キャッシュ・フロー会計の基本原理を解説するアカデミックな書籍であり、実務本では十分に掘り下げられていないキャッシュ・フロー計算書の構造や論点について解説されています。

 

バランス・ベクトルによる会計システムの表現については、こちらのテキストに詳しく論じられています(数学的・代数的に体系的に論じられた会計本はこの本くらいでしょう。ほかにもあれば是非教えて下さい)。

この記事ではBS科目としてのキャッシュについて、その増減を表すフロー科目を用いてキャッシュ・フロー計算書を誘導的に作成する方法について述べました。当然、キャッシュ以外の勘定科目でも同様の議論が行えます。任意のBS科目に対して適当なフロー科目を設定することで増減を捉える方法は「増減複式簿記」と呼ばれます。
杉本 啓, 増減複式簿記–キャッシュフロー時代に即した簿記の拡張, 2006, 企業会計, 中央経済社
これらテキストのほか、毛糸ブログ【君の知らない複式簿記】シリーズもぜひご覧ください。簿記検定や大学の会計学では学ばないような、ちょっと変わった複式簿記の世界をご案内します。
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