オンラインの勉強会は探せばたくさん見つかります。Connpassのような勉強会支援のサービスもありますし,SNSで情報を目にすることも多いです。
でも,こうしたイベントを見つけても,実際に参加する気持ちになれなかったりもします。
この記事では,勉強会は気になるけど行動にうつせない,その要因と向き合い方について考えます。
オンラインの勉強会は探せばたくさん見つかります。Connpassのような勉強会支援のサービスもありますし,SNSで情報を目にすることも多いです。
でも,こうしたイベントを見つけても,実際に参加する気持ちになれなかったりもします。
この記事では,勉強会は気になるけど行動にうつせない,その要因と向き合い方について考えます。
盛年は重ねて来らず
一日は再び晨なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず
時は3世紀,東晋の詩人,陶淵明の詩です。
人生の中で勢いある時期は再び来ず,一日の中で朝(晨)が2度訪れることもない。
なので,学ぶべき時が来たらよく勉学に励まねばならない。
歳月は私たちを待ってはくれないのだ。
私の博士課程進学に当たり,フォロワーさんが贈ってくださいました。
壮年の時は人生に二度と訪れないので,勉学に励む決意をしたのなら,時間を無駄にせず学問せよという餞の言葉と理解しました。
歳月は人を待たず。
後悔のないよう,全力で挑戦します。
https://twitter.com/ayahocho/status/1397770441805078528?s=20
このたび、大学院の博士課程入試に合格し、9月から社会人学生として博士課程で研究を行うこととなりました。
研究テーマはこのブログでもたびたび取り上げている、複式簿記の構造研究に関するものです。
特に、昨今会計業界で注目されているブロックチェーンやクラウド会計システムのなかで、会計情報をいかに表現するかという視点から、実務的諸課題を複式簿記の代数構造を用いて解決する緒を探ろうと考えています。
会計士として日中は業務に従事しつつ、夜間や休日を利用して研究を進めていくつもりです。
相当険しい道になることはわかっています。
しかしそれ以上に、会計研究の最前線をいく教授陣や意欲ある学生に囲まれて研究を進めることができると思うと、興奮が遥かに勝ります。
このモチベーションを研究実績に消化させられるよう、今後さらに気合を入れて、探求活動に臨もうと思います。
大学院博士課程の入試に合格しました。
会計士として働きながらの博士進学は困難が予想されます。しかし自分の探究心を形にしたいという想いが勝り、挑戦を決めました。
研究テーマは、複式簿記に基づく会計情報とテクノロジーの融合についてです。簿記数百年の歴史に足跡を残したいと思います。
— 毛糸@博士課程 (@keito_oz) May 27, 2021
書籍や論文は最初から順に読んでいくタイプでした。表紙をめくって最初のページ,「はじめに」の1行目から丁寧に読んでいくのがこれまでの私のスタイルでした。
しかし,『独学大全』を読んで,このような文献の読み方はもったいないことに気が付きました。
『自分らしい働き方を目指して、仕事と病の両立が当たり前になる社会へ』というAERAdot.(アエラドット) の記事で,「ワークシックバランス」という言葉を知りました。
働く人の3人に1人は何らかの病気を抱えているといわれている現代において,病と向き合いながら働くことを前向きに捉えるのが,ワークシックバランスという考え方です。
記事の対談の中でパラレルワーカーの正能さんがこんなことをおっしゃっています。
私たちは、「何らかの病気と向き合っている人が目の前にいるかもしれない」という想像力を身につけ、「伝えたい人が伝えやすい関係をつくる」「伝えてくれたら手をさしのべる」という気持ちでいることが必要だと思いました。
この言葉にはハッとしました。病気と向き合っている人が目の前にいるかも知れないという想像力を,私はどれだけ持てているだろうかと不安になったからです。
目の前の相手が抱える病気や痛みを,外から見て理解できるシーンは必ずしも多くありません。一見しただけではそうとわからないハンディキャップや悩みを、相手は持っているかもしれないのです。
そんなちょっとした想像力を普段から意識することができれば,先入観によって物事を決めつけたり,思い込みで相手を傷つけたりすることが少なくなるかもしれません。
病気に限らず,この社会にはさまざまなマイノリティが存在しており,少なからず肩身の狭い思いをしています。
そういう生きづらさが少しでもなくなるように,私たち一人ひとりが,相手への気配りを忘れず,ちょっとした想像力を持って付き合っていけたらいいなぁと感じます。
自分の中にある先入観やバイアスに気づき,それをほぐしていくのは,簡単なことではありません。
しかし,ちょっとした想像力が行動になって、みんなが生きやすい社会になると,私は信じています。
自分の実力を超える試練に立ち向かうこと。それは自分を成長させるのに重要なことです。
しかし,あまりに過酷すぎる状況においては,逃げることもまた重要な戦略です。
きちんと学んだことのある分野の教科書をもう一度読んでみると、いろいろなメリットがあります。
その一つが、知識のデフラグです。
デフラグ(デフラグメンテーション)とはIT用語で、断片化した情報を整理することをいいます。デフラグを行うと情報処理が早くなるなどのメリットがあります。
既習分野の教科書を再読することは、知識をデフラグする効果があります。
知識は一度インプットしても、それを活用する機会がないと忘れてしまうものです。
そこで知識のデフラグが効果を発揮します。
学んだことを全部忘れてしまうことはあまりないかもしれませんが、ある部分は忘れ、ある部分は覚えているといったふうに、記憶が断片化します。
教科書を読むと、断片化した記憶を再度体系的に整理することができます。これによって知識の定着度は増し、利用しやすくなるのです。
勉強したことのある分野のテキストをもう一度読むのは、新しいことを学ぶという意味での楽しさは少ないかもしれません。
しかし、知識のデフラグが行えるため、「生きた知識」を身に付けるのに役立ちます。
初心にかえったつもりで、昔読んだ本をもう一度手に取ったり、既習分野の新刊を読んでみたりしてみてはいかがでしょうか。
「会計とはなんなのだろう」ということを、最近よく考えます。
教科書的な答えとしては、企業の経済活動や状態を貨幣額などを用いて測定し報告するシステム、ということになるでしょう。会計は経済活動の写像である、というフレーズで語られることもあります。
調子のってるときに「お前調子のってんぞ」と諭してくれる人や、気付かせてくれる仕組みを確保しておくのは大切です。ここでいう「調子のってる」という言葉のニュアンスは、「誠実さを欠く」「感謝を忘れる」「独りよがりな行動をする」といったネガティブな意味です。
調子のってるとき、人は自分が調子のってるなと自覚しづらいものです。調子のってる自分は「いい調子の波に乗ってる」と思っているため、不誠実な振る舞いをしていても気づきづらいのです。
そんなときに「お前調子のってんぞ」と諭してくれる人が近くにいると、独りよがりな行動にブレーキを掛けられます。言葉や態度で正してくれる人がいなくとも、自分の振る舞いを客観視するための指標などを見つけられると、上手にブレーキを掛けられます。
例えば、以下のような点に注目すると、調子のってる自分に気付けるかもしれません。
もちろん、調子のってる自分が悪だと言うつもりはありません。いい意味で「調子にのる」のは良いことで、自己肯定感を高め自信に繋がります。しかし、他人に不誠実な態度をとるのは避けたほうが良いでしょう。
調子のってる自分を正してくれる友人や仕組みを大切にしたいものです。
「苦労は買ってでもせよ」という言葉があります。苦労は人間を成長させる機会であるため、苦労はしたほうが良いという教えです。
一方、「同じ苦労を味わわせたくない」と後進を案じる気持ちの大切さもよく知られてます。自分たちは不便な思いをしたけれど、それを乗り越えることができたので、後進には同じ苦痛を味わってほしくないという想いの現れです。
「苦労は買ってでもせよ」という教えと、「同じ苦労を味わわせたくない」という想い。相反する二つの考え方を、どう整理したら良いのでしょうか。
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