日常

発信することのハードルを、いかにして下げるか

私たちは日々、様々なことを学んでいます。

仕事での気付きや、日常のちょっとしたアイデアは、SNSやブログで発信することで、誰かの役に立つこともあります。

学びを発信することは、とても意義あることなのですが、しかし私にとっては(そしておそらく多くの読者の方にとっては)なかなか気が進まないことだったりします。

アイデアをまとめてブログやnoteで発信するのはごく一部の人で、Twitterでつぶやけばいい方、ほとんどの人は(私も含めて)アイデアを思いつき「いいことに気づいちゃった」と満足して終わりだと思われます。

これを人に伝わる形で「発信」できたらよいのですが、これが結構めんどうで、人に見られることを意識するとすぐやる気がなくなります。

そんな話を呟いたら、尊敬する先輩がこんな言葉をくれました(鍵垢なのでフレーズだけ引用させていただきます)。

中途半端な状態でもアウトプットしてwiki的にみんなでツキハギ補足するサイトみたいなのを作れば良いのでは?

これからの時代、答えよりもイシューや頭出し、掘る下げる観点やポイントの方が価値ありそ。

確かにおっしゃるとおりです。

問題意識(イシュー)とそれに対する解決策、意見、関連する情報などが整理されていれば、それに越したことはありません。

しかしそういう「質」的側面を重視するあまり、「量」がおざなりになり発信すること自体をやめてしまうのは、本末転倒です。

量が質に転化するのであって、最初から(程度が必ずしも高くない)質に固執して、量をこなすのを遠ざけていたら、意味がない気がします。

なので、私はとりあえず、中途半端でも低クオリティでもいいので、こうした発信の機会を増やそうと思います。

とりあえず、スマホですぐにブログを書けるようにアプリを入れました。

Done is better than perfect.

GPIFがアイスクリーム会社の株に集中投資しないわけ

こんにちは、毛糸です。

先日こんなつぶやきをしました。

これはネタツイートであり、本気で「儲かる会社の株を買え!」と言っているわけではありません(#ksprとはクソリプのことです)。

RT元のGPIFのツイートでは、変動パターンの異なる2つの会社(アイスクリーム会社とおでん会社)の株を組み合わせて保有すると、投資のブレ幅が小さくなることをイメージ図で表しています。

これは投資の「分散効果」として知られており、異なるランダムな動きをまとめることで、変動性が小さくなることは数学的に証明されています。
しかしGPIFのイメージ図(下図)を見ても分かる通り、分散投資を行うことで、好成績を上げたアイスクリーム会社にのみ投資をしていた場合よりも、低いリターンになってしまします。
したがって「最初からアイスクリーム会社を買っておけば高いリターンが得られただろう!」という考えを初心者は抱きがちです。
ですが、「アイスクリーム会社が好成績だった」というのはあとになって振り返ってみて初めてわかることであって、最初からアイスクリーム会社の株価リターンが好調であるとは限らないのです。
たまたまその年が冷夏であれば、予想よりもおでん会社の株価リターンが高まるでしょうし、猛暑が予想されていても台風の影響で涼しい日が続くようなことがあるかもしれません。
個別の会社の業績や株価リターンの良し悪しを見通すことは専門家にも難しく、学術研究においても「予測」の困難性が指摘されています。
こういった予測困難性(≒リターンのランダム性)を前提にすると、分散投資により多くの銘柄に投資するのが最善であるという結論が得られます(「最善」の意味については金融経済学(Wikipedia)を参考に)。
GPIFは運用する資金を多くの資産クラス・銘柄に振り分け、分散投資を実践しています。

【参考記事】
年金のリスクとリターンを統計プログラミング言語Rで計算してみた

もちろん「アイスクリーム会社を事前に発見することはできる!」と考える人も多くいて、銘柄選別により市場の「平均」よりも高いリターンを目指す「アクティブファンド」というのもあります。
いずれにせよ、事後的な情報をベースに「この株を買っておくべきだった!」などと指摘するのは完全なクソリプですので、注意しましょう。
分散投資の意義や個別株の選別の難しさについては、下記の書籍に説明があります。

分散投資の一つの実践手法であるインデックス投資については、下記の書籍がバイブル的な本であり、たいへん示唆に富む良書です。

資格の勉強を体系的インプットに役立てる

こんにちは、毛糸です。

先日こういう呟きをしました。

私は幸運にも公認会計士の資格をとることができ、会計士として仕事をしています。

公認会計士といえば「手に職をつける」ための資格の最たる例です。

「手に職」系の資格は難易度が高いことが多く(でなければその職の希少価値が下がります)、資格取得には相応の投資が必要になります。

「手に職」系の資格はキャリアアップなどに役立ち、ライフステージ次第ではよい投資案になるでしょう。

では「手に職」系でない資格はどうでしょうか。

「手に職」系でない資格にもいろいろあります、趣味の延長のようなものから、業界資格、ニッチ産業の知識確認のための資格まで、いろいろです。

こういった資格は、取得したからと言ってすぐに仕事になるという類のものではないかもしれません。

しかし、その分野の知識を体系的にインプットするための教材として使えるものも多くあります。

たとえば、

IT業界で仕事をする最初の一歩としての「ITパスポート」は、この情報化社会を支える技術の基本を学ぶとても良い機会になりますし、

ビジネスマネージャー検定」は管理職・非管理職を問わず、業務をマネジメントするための基礎知識を大局的に学ぶことができます。

最近では、AIに関する基礎知識を問う「ディープラーニングG検定」が個人的に気になっています。

昨今話題になっている投資については、「ファイナンシャル・プランナー」のテキストで勉強すると、実用的なお金の知識が身につき有用です。

このように、自分の興味を持った分野でもし資格があれば、そのテキストを教材として利用することで、体系的なインプットを行うことができます。

値引きと実質値引き、無料と実質無料、それらの違いと一致する条件

こんにちは、毛糸です。

最近、携帯電話会社の料金プラン改革が進み、スマホの端末代金を料金から差し引く「実質値引き」ができなくなりつつあります。

また、QRコード決済サービスが乱立し、多くのサービスでポイント還元が行われ、ここでも「実質○%オフ!」というような説明がされることがあります。

さて、この実質値引きや実質無料という考え方ですが、なぜ「実質」なのでしょうか

もちろん単純な値引きや無料ではないので「実質」という枕詞をつけて区別しているわけですが、値引きや無料の「効果」は同じなのでしょうか

本記事ではこの「実質」の考え方について、数式を用いて考えてみたいと思います。

値引き・無料とはどういうことか

まず、通常の意味での値引き・無料について考えてみましょう。

値引きの定義

a%の値引きとは、価格X円の商品を購入するときに、 X × a%円分を減額して支払うこと、つまり

X – X × a%=X(1-a%)円

を支払うこと、と考えられます。

価格100円の商品が5%の値引きになっているとき、支払額は

100 – 100×5%=100-5=95円

です。

a%の値引きが行われたとき、X円の商品をX(1-a)円で購入できるわけですから、支出額1円あたりの商品価値は

X ÷ X(1-a)=1/(1-a)

となります。

なぜ支出額1円あたりの商品価値なんて話をするのかと言うと、こうすることで実質値引きとの比較がわかりやすくなるからです。

無料の定義

無料とは、100%の値引きのことです。つまり価格X円の商品を、

X – X×100%=0円

で買えるということです。

このとき、支出額1円あたりの商品価値は

X ÷ X(1-100%)=1/(1-1)=∞(無限大)

となります。

実質値引き・実質無料とはどういうことか

次に、実質値引き・実質無料について考えてみましょう。

実質値引きの定義

a%の実質値引きとは、価格X円の商品を購入するときに、代金X円を支払った上で、X × a%円の現金やポイント(以下、現金等)が還元されること、と考えられます。

価格100円の商品が5%実質値引きになっているとき、支払額は100円であり、100×5%=5円が還元されます。

したがって、a%の実質値引きで価格X円の商品を購入したあとには、手元にはX円分の価値のある商品と、X×a%の現金等が残っています。

現金等は使って初めて効用(満足度)を生むと考えるのが基本的な経済学の考え方ですので、議論を単純化するためにも、還元された現金はその後消費する(つまりその現金等を使って別の商品を買う)と考えましょう。

このとき、実質値引きは1度だけ適用する、つまり追加購入には実質値引きが適用されないと仮定します(この仮定については、あとの節で再検討します)。

このような状況を整理すると、a%の実質値引きが行われたときには、X円を支出することで、X+X×a%=X(1+a%)円分の価値の商品を手に入れられる、ということになります。

したがって支出額1円あたりの商品価値は

X(1+a) ÷ X = 1+a

となります。

実質無料の定義

実質無料とは、100%の実質値引きのことです。つまり価格X円の商品をX円支払って購入し、X×100%=X円の現金等が還元されるということです。

したがって、X円の支出に対して、X+X×100%=2X円分の商品が購入できます。

このとき、支出額1円あたりの商品価値は

2X ÷ X=2

となります。

値引きと実質値引き、無料と実質無料の違い

以上のことを整理すると、

  • 値引き(a%)とは、支出X(1-a%)円でX円分の消費をすることであり、支出1円あたりの消費額は1/(1-a%)
  • 無料とは100%値引きのことであり、支出1円あたりの消費額は無限大
  • 実質値引き(a%)とは、支出X円でX(1+a%)円分の消費をすることであり、支出1円あたりの消費額は1+a%
  • 実質無料とは100%実質値引きのことであり、支出1円あたりの消費額は2
ということになります。
値引きと実質値引きを、支出1円あたりの消費額で比較すると、
[値引き]1/(1-a%) > [実質値引き]1+a%
という関係にあるので、実質値引きより値引きのほうが得です。
無料と実質無料を比較しても、無料の場合の支出1円あたりの消費額は無限大であるのに対し、実質無料の場合は支出1円あたりの消費額は2なので、無料のほうが得です。
したがって、値引き(無料)と実質値引き(実質無料)では、前者のほうが得であると結論付けられます。

発展:条件によっては値引きと実質値引きはイコール

以上の通り、値引きは実質値引きよりも得であると結論付けられましたが、実はある条件を加えると、両者のお得度は一致します。
その条件とは「実質値引きで還元された現金を使用したときにも、実質値引きが適用される」ということです。
前節までの結論はこの条件が成り立たない場合、つまり「実質値引きは1度だけ適用する」「追加購入には実質値引きが適用されない」と仮定した場合に導かれる結論です。
しかし、実質値引きは何度でも適用可能で、実質値引きで還元された現金等を使用する際にも、実質値引きが行われると考えると、実は値引きと実質値引きは完全に同じ効果を生みます
この条件のもとでは、X円支払ってX円商品を購入したとき、X×a%の現金等が還元されます。
この現金等を使用してX×a%円の商品を購入すると、現金等がX×a%×a%円還元されます。
これが果てしなく続くことになるので、結局X円の支出で
X+Xa+Xa^2+…=X(1+a+a^2+…)円
分の商品が手に入ります。
等比数列の和の公式から、1+a+a^2+…=1/(1-a)が成り立つので、結局実質値引きにおいても、X円の支出でX/(1-a)円分の商品が買えることとなり、支出1円あたりの消費額は1/(1-a)なので、値引きの場合と同じになります。
したがって、「実質値引きが何度でも適用可能」という条件があれば、値引きと実質値引きは同じ効果を生むと言えます。
最近のQRコード決済のサービスでは、QRコード決済により還元されたポイントを使った場合にもポイントが還元されることが多いと思いますので、この場合はポイント還元率=値引き率と考えて良いでしょう。

参考:値引きと割引の違い

値引きと似た言葉に、割引というのがあります。

5%の値引きを、5%割引と表現する場合も多くあり、両者は同じ概念と思っている方も多いでしょう。

しかし、会計の専門用語としての値引きと割引は、以下のように異なる意味を持ちます。

  • 値引き:商品代金の減額のこと
  • 割引:商品代金を早く払うことにより支払いが安くなること
割引は単純に代金を安くするのではなく、約束の期日より早く支払ってくれたことに対して、お金にかかる金利分を安くしてもらうことです。
会計においてこれらは明確に区別され、会計処理も異なるので、注意してください。

適度な忙しさによる生産性向上と、余裕とのバランス

こんにちは、毛糸です。

先日こういったつぶやきをしました。

業務に忙殺されるとクリエイティブな活動がしにくくなる一方で、適度に忙しい状況が生産性を高めるケースもあります。

本記事では、適度な忙しさのもとでの生産性と、余裕と忙しさのバランスの重要性について考えてみたいと思います。

探求には余裕が必要

自分の興味関心を深め、物事にじっくり取り組むためには、心理的・時間的な余裕が必要です。
日々の仕事に追いまくられ、家に帰るころにはくたくた、休日も疲れを癒すので精いっぱいという状況では、何かに腰を据えて向き合い探求するのは難しいです。
知りたいことを学びたい、興味関心を深めたいという思いは人間の根源的な欲求だと思いますが、そういった欲求はあくまで心身の安全が確保されてから満たすべき「高次の欲求」ですから、まずは日常に余裕を持つ必要があります。
人間の体力や精神力には限界がありますから、それらリソースを仕事で完全消費してしまうと、学ぶ意欲というのは持ちにくいです。
【参考記事】

忙しさがもたらす生産性向上のメリット

探求には余裕が必要、とは言っても、何も制限のない完全な自由の中では、人はどうしても怠けてしまいます。
課題が与えられそれをこなすのに精一杯になっているときに「時間ができたらこれをやろう」と心に決めたにもかかわらず、いざ時間ができてみると当時の熱意はどこへやら、暇を持て余してしまったという経験はないでしょうか。
人は忙しさの中では、忙しさから解放された時のことをあれこれ夢想しますが、実際に自由な時間が与えられたときにその時間を有効利用できるかは、別問題であるように思います。
個人的な経験ですが、忙しい時にも良いアイデアは浮かぶもので、忙しい合間を縫ってアイデアを深堀りしているときのほうが、充実感・達成感を味わえるような気がします。

忙しいときに自分の好きなことをしようと思ったら、当然ながらそのための時間を捻出しなくてはなりません。

そうなると必然的に、自分に与えられた課題を可能な限り効率化させ、時間あたりのタスク消化量を高める(=生産性を上げる)ことになります。

冒頭で述べた「多少忙しいほうが生産性が上がる」というのはこのことで、忙しさの中で自分のやりたいことをやるための副次効果として、生産性が上がるということです。

余裕と忙しさのバランス

探求には余裕が必要な一方で、忙しさは生産性を上げます。
余裕と忙しさのトレードオフを、どの水準に落ち着かせるべきかというのは、難しい問題です。
手に入れた余裕のうち、それを探求に振り向けられる比率は人によって異なりますし、忙しさから来るストレスの度合いにも個人差がありますから、「このバランスがベスト!」という正解はないのでしょう。
しかし、常に探求を志向しながら、何度か余裕と繁忙を繰り返すことで、自分がもっとも生産的にかつストレスなく物事に取り組める負荷感がつかめてくるはずです。
私の場合は、年に2度ある繁忙期のなかで、標準作業時間が1日の労働時間以内に収まっているような「ヒマではないけど忙しくもない」タイミングが、もっとも生産性が高いと感じています。
繁忙期ど真ん中では好きな勉強をすることもままなりませんし、逆にプロジェクト明けの閑散期にはだらけてしまいます。
自分の最適な負荷感がわかれば、あとは日常生活を可能な限りその最適負荷の状態にキープすることを考えればよいわけです。
繁忙期には可能な限り業務を減らし、閑散期には自ら仕事を開拓し課題を見つけるなどして、最適負荷の環境を自分で作ることができれば、常に高い生産性と充実感を得ることができるでしょう。

【参考記事】

まとめ

探求には余裕が必要ですが、忙しさによる生産性向上というメリットもあります。
余裕と繁忙の最適なバランスを見つけられれば、その水準から外れないように業務量をコントロールすることで、常に高いパフォーマンスを発揮できます。
自分を知り、自分を管理することが大切です。

SNSでの「発信」で得られた3つの効用

こんにちは、毛糸です。

先日こういった呟きをしました。

私はSNSで日頃勉強したことや、その時どきに興味を持っていることについて、積極的に発信するようにしています。

その目的は、知識獲得の嬉しさをうちに秘めたままでいられないからであったり、自分の気付きや発見を他の人にも知ってほしかったりというものですが、その他にも発信することで得られたいろいろな「いいこと」があります。

本記事ではSNSでの発信で得られた3つの効用についてまとめたいと思います。

発信の効用1:さらなるインプット・追加情報

テキストを読を読んだり、動画を見たりして、なにかを勉強したとき、それを噛み砕いてSNSで発信すると、その道の専門家や、自分より詳しいフォロワーから、リプライが来ることがあります。
その分野に関してはこんな研究が進んでいるよ、とか、このテキストには更に詳しい内容が載っているよ、といった追加的な情報が、思いもよらぬところからもたらされることが多々あります。
自分の理解が間違っていた場合にも、発信することで誤りが発覚し、修正してもらえることもあります。
このように、SNSで学びを発信することで、さらなるインプットや、自分だけでは得られなかったであろう追加的な情報に触れられるようになります。
SNSでの発信はインプットの終着点ではなく、さらなるインプットの着火剤にもなるということです。

発信の効用2:同志・仲間

自分の学びを発信することで、自分がどんなことに興味を持っているかについて、フォロワーに知ってもらうことが出来ます。
ときには、同じタイミングで同じような勉強をしている人と意気投合することもあり、実際に私はそういった方々と勉強会を開催するようにもなりました。
同じ言葉を使い、同じ分野で探求をしている人と交流するのは、とても楽しいものです。
もちろん人それぞれ目指すところは異なっていますが、そのことが同じ分野における多様性につながっており、探求のモチベーションになります。
ひとりで勉強するのはときに孤独感に苛まれますが、SNSで発信することにより仲間が見つかれば「1人だけど独りじゃない」という名状しがたい安心感が得られます。

発信の効用3:信頼・信用

SNSでの発信が正確で役立つものであるなら、発信は信頼や信用に繋がります。
自分がテキストや指導者から教わった内容を、自分の中で消化しておしまいにしてしまえば、自分の学びがどこかに活かされるのは、暫く先になってしまいます。
しかし、学びを反芻し「発信」につなげることで、それは情報としての「価値」を生み、誰かの役に立ちます。
継続的な発信は、情報発信者としての信用を醸成し、それは人脈形成や種々の手助けという形で自分に返ってきます。
昨今、発信による価値提供を全面に押し出しインフルエンサーを目指す動きが見られますが、そうしたアグレッシブな発信でなくとも、自分の学びを他者と共有できる形で発信することによって、知らず知らずのうちに信頼は形成されていくものなのだろうと思います。

まとめ

私がSNSでの発信を通じて得た3つの「良いこと」について述べました。
もちろんこれらは「結果として」得られたものであり、これらを「期待して」発信することが果たして楽しいのかというのは、個々人の価値観次第です。
しかし、学びを消費で終わらせず、発信につなげることで生まれる価値というのはたしかにあり、それはきっと発信者である自分に返ってきます。
私はこれからも、学びを発信し続けます。

人生の優先順位

こんにちは、毛糸です。

2019年6月19日現在で、このブログも80日ほど毎日更新を続けています。

アウトプットの習慣のなかった私にも、徐々に発信することが当たり前になり、そのハードルも下がってきたように思います。

毎日更新を続けていく中では、仕事で忙しかったり、私生活が慌ただしいときなどは、本を読んだり記事を書いたりに使う時間が思い通りにとれないことも多々あります。

ブログ執筆だけではなく、SNSでの発信活動や勉強会など、対外的なアクティビティが重なったりもして、そんなときには頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいます。

そんなときには「人生の優先順位はなにか」を自分に問いかけるようにしています。

目先の利益や近視眼的な行動に陥り、本当に大切にすべきことを見失ってしまっては、本末転倒です。

あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと、nice to haveを挙げだせばキリがありません。

しかしそんな忙しい(心を亡くすと書いて忙しい)ときこそ、自分の人生の優先順位は何かということを、きちんと問いかけて見る必要があると思います。

自分の時間も、精神力も、体力も限られた資源です。

それら資源を有意義に、後悔なく活用するためには、忙しい折にこそ「私の人生の最優先はなにか」と問いかけ、本当に大事なことを忘れないようにしたいと思います。

勉強会「意識高い……」「レベル高そう……」いやいや、誤解してませんか?

こんにちは、毛糸です。

このところ毎月のように勉強会を企画したりしているのですが、先日「意識が高い」「近寄りにくい雰囲気」という声を耳にしました。

私はそういう声にはあまり気持ちを乱されないタイプですが、しかしそういうイメージを持たれるのは本意でなく、誤解であると感じているため、今回はそういった声に対するメッセージをお届けします。

私はなぜ勉強会を開いたか

私は昨年のプログラミングブームの中で、自分と同じようにテクノロジーを学ぶ人達と交流したいという思いで、勉強会を企画しました。

当時の私はプログラミング言語Pythonに興味を持っていました。

日頃、会計士として仕事をしていますので、Pythonを会計の仕事に役立てられないかと考え、会計×テクノロジーの勉強会 PyCPAを立ち上げました。

PyCPAという勉強会は昨年の発足以来、10回以上の開催実績があり、参加者も述べ250人を超える規模となりましたが、最初はプログラミングに興味のある会計士ツイッタラーを集めた小規模な集団でした。

会計とテクノロジー(プログラミング)という、ある種「オタク」な趣味を共有するために、SNSで仲間を募り集まってみた、とうただそれだけの勉強会です。

PyCPAという勉強会は、これまで色々な形式で開催されてきました。

  • ただ集まって各自黙々と作業を行うもくもく会
  • 講師を招き実務の最先端を学ぶセミナー
  • 実際にプログラミングをしながら学ぶハンズオン
  • 専門書をみんなで読み進めていく輪読会
などなど、多彩なバリエーションで開催しています。
勉強会は完全無償で運営されており、会場の提供や講師の登壇まで、すべで勉強会のビジョンに共感して下さる方々の善意で成り立っております。

勉強会に対する誤解

そんな勉強会PyCPAですが、最近「意識が高い」「レベルが高くて近づきがたい」という声をちらほら耳にするようになりました。
前述の通りPyCPAは、Twitterに生息する一部の「オタクな」会計士による趣味の集まりとして発足しました。
今でこそ多くの支援者に恵まれ、コミュニティとしての輪郭を備えつつありますが、「楽しさを探求する」というあり方は、当初から全く変わっていません。
意識の高さを志向しているようなことはまったくなく(おそらくコミュニティメンバーもそれを望んでおらず)、ただ楽しいから・知りたいからと言う理由で、探求し発信しています。なので、
なに意味わからんこと追い求めてるんだあいつら……
という方向で近寄りがたいのならよくわかりますが、
なんかレベル高いことやってるよ意識たかっ……
と思ってるなら、それは大きな誤解です。
もちろん、会計やテクノロジーに興味を持ち探求することを楽しむ人種が世の中の多数派だとは思っておりませんので、そういう意味では「尖った」集団であることには間違いないのですが、もし「意識高い」奴らと映っているのであれば、それはこのコミュニティの本質を十分理解いただいていないということでしょう。

やりたいからやる、楽しいから学ぶ

私の周りには、私の興味ある話題について話を深められる人があまりいません(私の交友関係の狭さゆえです)。
私が気になる、AIの新技術とか、正規分布の和とか、簿記の代数的構造とか、そういう話題を一緒に楽しめる人が近くにいないのです。
しかしSNSは違いました。
SNSではどんなにニッチな趣向でも、広く発信すれば必ずと言っていいほど共感してくれる人が現れます。
SNSの広がりによって、リアルな人脈を超えた人間関係が構築できるようになりました。
こうしたネットでのつながりをリアルに感じたい、同じ志を持ち共通の話題を楽しめる人たちともっと交流したい、そういう気持ちが勉強会を企画する原動力になりました。
やりたいからやる、楽しいから学ぶ。
そうした娯楽を一緒に楽しめる仲間が、勉強会に集まっています。
そこにあるのは決して意識の高いインテリジェンスな集団ではなく、ちょっと変わったことに興味を持つ人たちが集まる探求の場なのです。

まとめ

「意識高い」「近寄りにくい」という声が、私たちの勉強会を形容する言葉としてはちょっとずれていると思い、考えていることを述べました。
私たちの勉強会は、ただ楽しいから集まり、知識を共有しているだけです。
もし「レベルが高くて……」と遠ざけてしまっている方がいたら、それは大きな誤解です。

PyCPAで登壇する人たちだって、最初はみんな手探りで学んでいたのです。

もし、今まで勉強会なんて行ったことも開いたこともないけれど、興味があるという方がいらっしゃったら、勉強会に足を運んでいただくか、こんな勉強会を開きたいとリクエストしてみてください。
参考記事:PyCPAで勉強会を開催する、もしくはリクエストする方法

どうせ楽しむなら、話のわかる人と一緒にやったほうが楽しいのです。

一緒に楽しく学びませんか。

私の生活において「数学」は何に役立っているのか

こんにちは、毛糸です。

最近、数学を学びなおす社会人が増えているそうです。

ビッグデータやAIといった新しいテクノロジーを理解するに当たり、数学が重要であるというのがあるようです。

私も、大学院で金融工学を研究し、その後も趣味で勉強を続ける中で、数学をいつも身近に感じています。

今回は、私の生活において数学がどんなふうに役立っているのかを振り返ってみたいと思います。

論理的思考に役立つ

数学を身に着けた人の「強み」としてよく挙げられるのが、論理的思考力です。

数学は、前提と論理を用いて、曖昧さなく主張を導いていきます。

前提と論理から主張を導くことを「演繹」といいますが、これが実生活やビジネスにおいて役立つことはたくさんあります。

数学的な思考を身につけると、前提と論理をきちんと把握してから物事を考えられるようになります。

ある主張や仮説に対して、それはどんなときに成り立つ命題なのか、その仮説は正しそうなのか、というような疑問を自然に抱くことが出来るので、判断の確度が高まります。

先日も『「去年はこうでした」が通用するための条件について』という記事の中で、主張が成立するための条件はなにか?というテーマを考えてみたのですが、これも数学を身に着けたからこそ抱いた疑問だったのかもしれません。

ビジネスにおいても、前提条件の確認は、プロジェクトの成否に直結する重要なプロセスです。

MECE(漏れなくダブりなく)というビジネスでよく使う考え方がありますが、これも数学における「場合分け」と全く同じです。

数学をきちんと学んでいたことで、ビジネスマンの思考フレームワークとして重宝されている様々な考え方が自然と身についていた、ということも少なくありません。

思考の整理と課題解決に役立つ

数学は、思考の整理と課題解決に役立ちます。

実世界の出来事は、簡略化して考えることで数学の問題として扱えることがあります。

このような手法を「モデル化」といったりしますが、モデル化は現実の問題を整理し、問題を解決するために有用です。

たとえば、金融工学の新しい手法に「リアル・オプション」というのがあります。

これは、会社経営における意思決定の柔軟性が価値をもつ、という考え方です。

意思決定の柔軟性、と言っても、現実には無数の選択肢があり、多くのプレイヤーが組織運営に携わるため、簡単には議論できません

しかしこの問題を数学の世界に持っていき、金融工学という「ツール」を適用することによって、現実世界の状況を整理し、定量的に分析することが可能になります。

もちろん、現実世界のどういった側面を数学の言葉で置き換えるかという問題はありますが、しかしいったん数学を用いて整理できてしまえば、あとは数学の世界で妥当な結論を得て、結論を再び現実の問題として解釈し直すことで、課題を解決することが出来ます。

数学は、現実の複雑な状況を整理し、問題を解決するための指針を与えてくれるのです。

最近では、投資信託が儲かりそうかどうか、というのを、数学を使って考えてみたことがあります。
参考記事:ひふみ投信の対TOPIXの勝率を調べてみたら、統計的に有意に1/2より大きかった件

投資の収益というのを、「確率論」「統計学」と呼ばれる数学を用いて「モデル化」することで、数学世界の主張を現実世界の問題として解釈することができ、正しい判断に繋げられます。

数学による整理と解決は、かなりパワフルであると言っていいでしょう。

好奇心を満たす

数学の実益は前述のように多々ありますが、私の生活の中で、数学は好奇心を満たすものとして、とても重要な意味を持っています。

数学というのは古くから人類の叡智を結集させて進歩させてきた偉大な関心事であり、いちど正しいと証明できれば、未来永劫その正しさが揺るぐことはありません

過去の偉人が考え出した定理や公式は、何百年たっても正しくあり続け、現代の私たちと共有されます。

ガウスやニュートンといった「天才」が発見した数学は、現代に生きる私たちにとっても全く色褪せることなく正しくあり続けます。

そんな数学の不変性に、私はロマンを感じずにいられません。

テキストに書いてある数式がわからず、何時間も悩んでしまい、やっとの思いで証明できたその喜びを、千年前の数学者も感じていたのだろうと想像するたびに、自分の好奇心が満たされワクワクした気持ちになります。

「知らないことを知ることで満足感を得る」という人間の理性のままに、ただ勉強し、理解し、好奇心が満たされる。

そういう人生の豊かさを、数学は与えてくれます。

まとめ

数学が私の生活にどう役立っているのかを簡単に述べました。

論理的思考や、問題の整理と解決は、ビジネスにおいても重要です。

また、数学を学ぶことで得られる知的好奇心の満足も、私の人生を豊かにしてくれています。

これからもライフワークとして数学を学び続けたいと思います。

 

「去年はこうでした」が通用するための条件

こんにちは、毛糸です。

先日、会計士の方がTwitterでこういった趣旨の発言をしていらっしゃいました。

「去年はこうでした」は通用しない。1年前と何も変わっていないと思っているのか。

このつぶやきに関して、私はこうツイートしました。

今回は「去年はこうだった」という発言が通用するための条件について考えてみたいと思います。

前例踏襲は悪いことか?

「去年はこうだった」という発言の趣旨は、「去年はこういう手順で仕事をして、特に問題にならなかった。今年も同じようにやっているのだから、問題ないはずだ」ということでしょう。

この「去年はこうだった」という考え方、前例踏襲の姿勢というのは、個人的には間違った考え方ではないと思います。

なぜなら、去年の作業結果が妥当で、今年も去年と同じ前提と手続きを踏襲しているのなら、今年も同様の結果になる蓋然性が高いからです。

もし、去年の作業内容と結果を完全に忘れ去り、毎年「スクラップ・アンド・ビルド」でゼロから作業を組み立て、結論を導くようなやり方をしていたら、同じ作業と判断を毎年繰り返すことになり、非効率です。

同じ手続き、同じ判断を繰り返したところで大きな意味はなく、単純に手間が増えるだけですから、既に得た結論(去年はこうだった)に依拠できるならしたほうが、負担が少なくて済みます。

疑うことのコスト

前例踏襲は、最近よく目にする「疑うことはコスト」にも通じる考え方です。

「疑うことはコスト」というのはGoogleに浸透している価値観であるとされ、現代のビジネスマンのあり方に指針を与えてくれる良書『どこでも誰とでも働ける――12の会社で学んだ“これから”の仕事と転職のルール』のなかで「ハイパー性善説」として紹介されている考え方です。

変化の激しい現代において、人を疑いスピード感を害するのは、大きな損失になりえましうです。

今回の「去年はこうだった」に関しても、去年の手続きと結果をいちいち疑うことで、追加的な負担が生じます。

毎回前年の結論を疑ってかかるのはコストがかかり、効果も大きくないでしょう。

むしろ、毎期踏襲しても問題が出ないように、しっかり作り込んで確実に引き継ぐべきで、私がコンサルを行っている大企業の経理では、そういう仕事の仕方をしています。

「去年はこうでした」が通用するための条件

「去年はこうでした」という前例踏襲のマインドは、同じ作業を繰り返すことを回避し、仕事を効率化するために一役買っています。

しかし、どんな場合でもこうした考え方が通用するわけではありません。

「去年はこうでした」が通用するための条件、それは、

去年と比べて作業の前提や手順に変更がない

ということです。

「去年はこうでした」というのは、去年と今年とで作業が同じならば結論も同じである、という仮説に基づいた判断です。

この判断が妥当であるためには、去年と今年の作業の前提条件が同じである必要があります。

去年と今年とで作業環境が様変わりしているなら、同じ手続きをとったとしても、同じ判断が行えるとは限りません。

したがって、「去年はこうでした」が通用するためには、「去年から前提に大きな変更はない」ということをきちんと確かめる必要があるのです。

冒頭の会計士さんも、「去年はこうでした」は変化の激しい状況においては通用しない、だから言ってはいけないのだ、という主張であると推察します。

前提が変わっていないかどうかをきちんと判定した上で、前例踏襲を行う分には、大きな問題は発生しないのではないかと思います。

前提の変化は、業務に組み込まれた仕組み(内部統制)でクリアできる問題ですので、安易に「去年はこうでした」と言わせないためのルールや仕組みをきちんと整えたいものです。

まとめ

「去年はこうでした」という前例踏襲は、仕事の無駄を省き効率化するのに役立ちます。

「疑うことはコスト」という考えにも通じるものがありますが、いつも妥当であるとは限りません。

「去年はこうでした」という主張が通用するためには、去年から前提に大きな変更がないことを、きちんと確認する必要があります。