こんにちは、毛糸です。
先日こんな論文を見つけました。
>>金融と保険の融合について(PDFリンク)
私は大学院で金融工学について研究しており、社会人になってからアクチュアリー(保険数理人)を目指そうと思ったこともあったため、とても興味深く思い読んでいます。
本記事ではこの論文で解説されている「保険数理と金融工学の融合」について、最近の研究にも触れながらコメントしたいと思います。
保険数理とはなにか
私たちは、人間の生死や事故などの予測不能なアクシデントに備えるために、保険に加入します。
保険は「万が一」に備えて多くの人がお金を出し合い、不幸に見舞われた人を保障する仕組みです。
保険に加入すると保険料を支払わねばなりませんが、この保険料はどのように決めるべきかを主な関心事として、数理的な分析を行うのが、保険数理という分野です。
保険数理を生業としている専門職はアクチュアリーと呼ばれ、極めて難易度の高い資格となっています。
金融工学とはなにか
私たち家計や企業は、自分の資産を運用したり、必要な資金を調達するなどして暮らしています。資金の貸し借りや投資は金融活動と呼ばれ、経済の潤滑油に例えられます。
お金を持っている主体が企業にお金を託す行為は証券投資として広く認知されていますが、企業がその事業に成功するかどうか、将来を完全に予測することはできません。
こうした不確実な金融に関する事柄について、いかに効率よく資金を利用できるか、どうしたらリスクを回避できるのかという課題を、数学を用いて解決する学問が、金融工学です。
金融工学のスペシャリストのことをクオンツと呼び、数学や物理学の研究者が、一時期金融界を席巻しました。
保険数理と金融工学の共通点
保険数理も金融工学も、将来を完全に予見することはできない、という考え方に基づいています。
どちらも、予測不能なランダムな現象と、それに伴う将来のお金の出入りに関する分析を行います。
分析のツールとなるのが、確率論(確率過程論、確率解析学)や統計学です。
つまり、保険数理も金融工学も、不確実な将来のリスクに紐付いたキャッシュフローを巡って、数学を武器として立ち向かう学問分野であるという点で共通しています。
保険数理と金融工学の相違点
保険数理も金融工学も、数学によるランダム性への挑戦という意味で同じですが、その基本思想は大きく異なっています。
保険数理は、人や企業が負担するリスクをどう測定・評価し、それをいかに制御するかという問題に比重を置いてきました。一方、金融工学は、不確実性の源である証券の価格変動は、市場取引を通じてヘッジ(回避)可能なもの考えています。
つまり、保険数理と金融工学には、リスクに対する姿勢が大きく異なっているということです。
もう少し具体的な相違点を挙げてみましょう。
保険数理におけるリスクは「大数の法則」により、その傾向を描写することが可能とされることが多いですが、金融工学におけるリスクはこの考え方が適用できない場合が多くあります。
金融工学におけるリスクの多くは「市場性」があり、市場を通じた資産の売買によりリスクをヘッジすることが可能とされますが、保険数理で考えるリスクには市場性がないのが通常です。
(証券投資は似た値動きの株を保有して変動を回避できますが、事故のリスクは誰かに肩代わりしてもらうわけにはいきません。)
このように、保険数理と金融工学には、リスクの考え方をめぐり相違点があります。
しかしながら、昨今は保険商品が流動化されることにより、保険に市場性が生まれつつあり、保険にかかわるリスクのヘッジ可能性が高まりつつある一方で、市場取引でヘッジ不能なリスクをどう価格に反映するかというプライシング理論を取り入れた金融工学発達により、両者はかなり近接してきています。
経済学による統一理論の試み
保険数理と金融工学は、徐々にその垣根が消えつつあります。
両者は、「不確実性の経済学」というより一般的な枠組みの中で、統一的に議論できるようになっています。
たとえば、保険数理における保険料計算原理は、経済学における期待効用最大化問題の解に対応していますが、全く同じ考え方によって、金融工学のリスクを反映した証券の価格が決定されます。
論文ではエッシャー原理に基づく保険料計算について述べられていますが、これは指数型の効用関数による効用最大化問題を解いていることと同じであり、保険数理で用いられてきた手法が経済学的意味を持っていることを明らかにするものです。
同時に、指数型効用の最大化問題を金融工学に適用すると、正規分布に従う資産価格を原資産とするオプションが、かの有名なブラック・ショールズ式で評価できることが知られています。
このように、経済学という枠組みの中で保険数理と金融工学を扱うことで、両者は極めて類似した概念を用いていることがよくわかります。
経済学の枠組みでは、将来キャッシュフローを「適切な割引因子」とともに計算することで、今の価値を評価できるという公式が知られています。
その式は「中心資産価格付公式」とか「資産価格の基本等式」と呼ばれており、以下のような極めてシンプルな形をしています。
\begin{equation} \begin{split}
1=E\left[ mR\right]
\end{split} \end{equation}
この式は、資産収益率\( R\)は、「適切な割引因子」\( m\)を乗じて期待値を取ることで、1に等しくなることを主張しており、この公式から多くの結論が導き出されます。
「適切な割引因子」は確率的割引ファクターやプライシング・カーネルと呼ばれ、経済学では特別な意味を持ちます。
エッシャー変換もリスク中立確率も、この公式から出発しています。
【参考記事】
>>リスク中立確率、状態証券価格、確率的割引ファクターの関係
最新の研究にも触れておきましょう。
従来、主に損害保険分野で考察されてきたであろう、災害が発生した際にキャッシュフローが生まれる金融商品(保険であり、デリバティブ)について、経済学の均衡アプローチから論じた論文がこちらです。
>>変換ベータ分布を用いた地震デリバティブの評価理論(PDFリンク)
地震の指数は取引不能・ヘッジ不能であることは明らかですが、経済学の立場からは値付けが可能であることが示されています。
まとめ
>>金融と保険の融合について(PDFリンク)
を参考にしながら、保険数理と金融工学の共通点・相違点について概観してみました。
両者はリスクを数理的に扱う学問分野として共通していますが、リスクに対する態度は大きく異なっています。
しかし、両者はより広い経済学の枠組みの中で統一されつつあります。
今後両者が連携し、社会科学の分野が更に発展していけばよいと願います。
参考文献
経済学の枠組みの中で、確率的割引ファクターやプライシング・カーネルの考え方が解説されている本では、下記がおすすめです。
リンク
ファイナンスと保険数理を両睨みで学べるテキストには、以下のようなものがあります。
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