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つぶやきまとめ


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企業価値と株主価値・PBRの関係

こんにちは、毛糸です。

先日こんなツイートを見つけました。

この図の出典は『ROEを超える企業価値創造』(柳 et al. 2019)だそうです。

この図や、あとに述べる同じ著者のレポートでは、企業価値という言葉を誤用しているのではないかと思われたので、ここで指摘したいと思います。

企業価値と株主価値と純資産

企業価値とは株主価値と負債価値の和として定義されます。

株主価値の評価理論について論じた『Equity Valuation』にも

we may determine the value of the firm both as the sum of debt and equity value, i.e.,

\begin{equation} \begin{split}
V_\tau=S_\tau+D_\tau
\end{split} \end{equation}

と述べられており、私もこの定義がフォーマルな定義であると考えています。なお、\( \tau\)はある時点を表す添字、\( V\)が企業価値、\( S\)が株主価値、\( D\)が負債価値です。

この定義の上で、株主と債権者に帰属するフリーキャッシュフローの割引現在価値もまた、企業価値\( V_\tau\)に一致することが示せます(これは定義ではなく定理です)。

株主価値\( S_\tau\)は市場から評価される金額であり、平たく言うと株式時価総額です。

会計ルールによって作成される貸借対照表で、株主価値に対応するのは、純資産(Book value, \( B_\tau\))です。

会計ルールは、株主価値\( S_\tau\)と純資産\( B_\tau\)が一致するようには出来ていないので、当然両者には差があり、両者の比が1になるとは限りません。

株主価値\( S_\tau\)と純資産\( B_\tau\)の比\( \frac{ S_\tau}{ B_\tau}\)はPBR(Price-Book Ratio)といいます。

ROEとPBRの関係

冒頭のツイートの図と似たような図が、同じく柳氏らのレポート『エクイティ・スプレッドと価値創造に係る一考察』(PDF)にも載っています。

同レポートの中では

ROE8%未満ではPBR1倍以下で価値評価が低迷するケースが多く、ROEが8%を超えるとPBRは1倍以上に向上して価値創造が高まる傾向があることが観察できる(図表1)。

と記載されており、また冒頭のツイートの画像(『ROEを超える企業価値創造』のものとされる)の題名は「優れたIRは企業価値向上に貢献する可能性」となっています。

いずれの図でも「ROEが高い企業はPBRが高い傾向にある」という傾向が読み取れますが、同時にこれを「価値創造が高まる」と表現しています。

この解釈は妥当なのでしょうか。

PBRと企業価値の関係

PBRは株主価値\( S\)と純資産簿価\( B\)の比\( \frac{ S}{ B}\)であり、企業価値\( V\)は株主価値\( S\)と負債価値\( D\)の和(\( V=S+D\))です。
これをちょっと変形してみると

\begin{equation} \begin{split}
V=S+D=PBR*B+D
\end{split} \end{equation}
です。

この式から、純資産簿価\( B\)と負債価値\( D\)が同一ならば(変化しなければ)PBRが大きい会社ほど企業価値\( V\)が大きいといえます。
しかしこの前提が成り立たなければ、「高いPBR」は「高い企業価値」を意味しません。

トヨタ自動車は企業価値が大きい会社であるという主張は多くの方に賛同してもらえるかと思いますが、トヨタのPBRは1を下回るかどうか程度ですので、高いPBRとはいえません。

統計的にROEがPBRを高めるという主張は成り立っても、それが企業価値を高めているかどうかは明らかでないのです。

「高いPBR」と「高い企業価値」は同じ概念ではないので、それらを混同すると、誤った結論を導くことになります。

「俺の会計基準」 会計ルールはどう決まるか・どう決まるべきか

こんにちは、毛糸です。

先日こんなつぶやきをしました。

会計基準とは、企業の経済活動を会計情報として表現するためのルールのうち、社会的合意によって決まったもののことです。

社会的合意によって決まったものでなくとも、一定のコミュニティの中で有用性が認められた表現ルールというのは考えてもいいわけで、そのようなものを総称して「会計ルール」と呼ぶことにしましょう。

このような用語の使い方を約束すると、たとえば自分の中で有用と認められた会計ルールは「俺の会計基準」と呼んでもよさそうです(笑)

本記事では、会計ルールはどのように決まるのか、そしてどう決まるべきなのかということを考えてみます。

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奨学型勉強会|学びを対価としたパーソナルファイナンスの提案

こんにちは、毛糸です。

先日こういったつぶやきをしました。

最近、社会人の勉強会や学習・研究コミュニティが普及しています。

SNSの発達やチャット・通話・資料共有アプリの普及によって、同じ興味関心を持つ人が気軽に集まり勉強することが簡単にできるようになっています。

私も会計×ITを軸にしたコミュニティPyCPAの運営者のひとりとして勉強会を企画することもあります。

 

【参考記事】
PyCPAで勉強会を開催する、もしくはリクエストする方法

そんな社会環境の中で、「お金はあるけど時間がない社会人」と「お金はないけど時間はある学生」を上手くマッチングさせることができれば、相互にメリットのある勉強会ができるのではないか、というアイデアを思いつきました。

本記事ではこの「奨学型勉強会」についてまとめます。

 

社会人と学生の補完関係

社会人は経済的な余裕はありますが、業務に忙殺され、日々の生活の中で興味関心を深めていく余裕を持ちづらい人が多いことと思います。

専門的な勉強をするなら、ある程度腰を据えてテキストや論文に取り組む必要がありますが、多くの社会人には時間の捻出がハードルになりがちです。

【参考記事】
学習意欲を持ち続けるための心がけ4つ

繁忙期にも学びを止めないための3つの心がけ

この点、学生は社会人に比べ学術研究に割ける時間の割合が多く、興味関心を深める自由が比較的大きいと思われますが、一方で専門書は高価なものも多く、書籍の購入をためらうケースもあります。

ここに「お金はあるけど時間がない社会人」と「お金はないけど時間はある学生」という相互補完的な関係が見いだせます。

つまり、社会人がお金を出して学生を支援する代わりに、学生が社会人のために研究内容を提供するという関係が築ければ、両者が自分の足りない部分を補い、ともに知的欲求を満たすことができます。

 

奨学型勉強会の仕組み

具体的にどうするのかというと、次の通りです。

奨学型勉強会のイメージ

ます、社会人がお金を出し、テキストを学生に買い与えます。

学生はその対価として、テキストの内容を社会人に講義するような勉強会を行います。

奨学のための経済的支援と勉強会を両立するイベント、すなわち「奨学型勉強会」によって、マッチングが成立するのではないかというわけです。

社会人は気になるテキストの内容の要約を「お金で買う」ことができ、学生はアウトプットを約束する代わりにテキスト代を工面できます。

意欲ある学生ならば、きっとゼミなどで発表の場を持つでしょうから、この勉強会のために追加的な負担が生じることは少ないと思われます。

社会人側も、何人か集まって教科書代を工面するくらいであれば、比較的低負担に支援が行えるでしょう。

問題意識豊富な社会人と柔軟な発想の学生が共に勉強することで、新しいアイデアの創出にもつながると期待されます。

ちなみに、説明上「社会人」「学生」という言葉を使いましたが、資金提供者(パトロン)と発表者(奨学生)の区別がつきさえすれば、社会的役割に関係なく「奨学型勉強会」は行えるでしょう。

個人的にこの「奨学型勉強会」は是非やってみたいと思っており、現在テキストを選定中です。

パトロンとして・奨学生として賛同していただける方は、Twitterでお知らせください

資格の勉強を体系的インプットに役立てる

こんにちは、毛糸です。

先日こういう呟きをしました。

私は幸運にも公認会計士の資格をとることができ、会計士として仕事をしています。

公認会計士といえば「手に職をつける」ための資格の最たる例です。

「手に職」系の資格は難易度が高いことが多く(でなければその職の希少価値が下がります)、資格取得には相応の投資が必要になります。

「手に職」系の資格はキャリアアップなどに役立ち、ライフステージ次第ではよい投資案になるでしょう。

では「手に職」系でない資格はどうでしょうか。

「手に職」系でない資格にもいろいろあります、趣味の延長のようなものから、業界資格、ニッチ産業の知識確認のための資格まで、いろいろです。

こういった資格は、取得したからと言ってすぐに仕事になるという類のものではないかもしれません。

しかし、その分野の知識を体系的にインプットするための教材として使えるものも多くあります。

たとえば、

IT業界で仕事をする最初の一歩としての「ITパスポート」は、この情報化社会を支える技術の基本を学ぶとても良い機会になりますし、

ビジネスマネージャー検定」は管理職・非管理職を問わず、業務をマネジメントするための基礎知識を大局的に学ぶことができます。

最近では、AIに関する基礎知識を問う「ディープラーニングG検定」が個人的に気になっています。

昨今話題になっている投資については、「ファイナンシャル・プランナー」のテキストで勉強すると、実用的なお金の知識が身につき有用です。

このように、自分の興味を持った分野でもし資格があれば、そのテキストを教材として利用することで、体系的なインプットを行うことができます。

学びの習慣、欲求階層説、感謝の気持ち

こんにちは、毛糸です。

先日こんな呟きをしました。

私にとって勉強すること、より具体的には、まだ知らないけれども興味のあることを追求することは、趣味のようなものです。

大学院まで進み、継続的学習を求められる専門職という職業にある私にとって、学ぶということはとても自然な営みです。

【参考記事】
学習意欲を持ち続けるための心がけ4つ

しかし、いつも学ぶ姿勢を持てているわけではありません。

仕事が忙しい時にはゆっくりテキストを読む余裕はありませんし、自分や家族が寝込んでいるときに数式をいじる気にはなりません。

本ブログの記事「繁忙期にも学びを止めないための3つの心がけ」には、仕事が忙しいときにも学ぶ姿勢を崩さないために気をつけるべきことをまとめています。

しかしそうは言っても、寝る間もないほどに忙しいときに「学びの姿勢を!」というのは酷というものです。

心理学者マズローは、人の欲求をいくつかの段階に分け、下位の欲求は「原始的欲求」に近く、それらが満たされながらより高次の「自己実現欲求」を求めるという欲求階層説を唱えました。

(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論#/media/ファイル:Maslow’s_hierarchy_of_needs.png)
「学びの欲求」はそれなりに上位の欲求のようで、食う寝るなどの生理的欲求が満たされなければ、学びを求めるような心理状態にはなりませんし、安全や社会的欲求も満たされている必要があるように思います。
冒頭のツイートは、次のように続きます。

私が学ぶ自由を持っていられるのは、私の生活を(欲求を)支えてくれる多くの人のご支援があってこそです。

支えてくれる方々に感謝をしながら、今日もテキストを開きます。

需要と供給から考える監査報酬

こんにちは、毛糸です。

日本は欧米と比べ、監査報酬が低いと言われています。

特に業界では最近、監査報酬をいかに上げるかという話がよく取り上げられます。

監査報酬というのは、監査というサービスに対して支払う価格のことですから、そのサービスの需要と供給で決まります。

もしたくさん報酬を払わなければ監査受けられないということになれば、嫌でも監査報酬は上がるでしょう。

最近は大手監査法人を中心に、ハイリスクな新興企業を安価で受けるようなことをしなくなってきています。

一昔前は、後の大規模クライアントを期待してか、ベンチャーを破格の監査報酬で獲得しては、現場を疲弊させてきました。

しかし、昨今の働き方改革により、そういった案件に資源を咲くのが難しくなりつつあるようです。

個人的には、それはいい傾向だと思います。

監査サービスの需要と供給

会計不正が市場を賑わせる昨今、多少高くても高品質な監査法人を使いたいというステークホルダーの希望はあるでしょうし、

一方の監査法人も無尽蔵にリソースがあるわけではないことをよく思い知ったでしょううから、

監査報酬アップの土壌は整いつつあるのではないかと思います。

監査サービスの供給側から見ると、働き方改革で従来のジュニアの残業頼りのやり方は通用しなくなり、そのしわ寄せがシニア層へ来ているようですが、ここに十分な手当てがされないと、いよいよ監査法人の運営が危うくなります。

そうなれば、報酬効率の良いクライアントしか残せなくなり、供給はタイトになってくるはずです。

もちろん大手監査法人以下、中堅以下が受け皿になって監査サービスの供給を下支えすることは考えられますが、過度に低廉の報酬は維持できないでしょう。

監査の需要側から見ると、監査なしには資本市場への参加が難しいこともあり、必要コストとして監査の需要は底堅いように思います。

ただ、一方で、監査が必要な会社でいることのメリットは徐々に小さくなっているような気がしています。

監査(を要する会社であること)のコストが大きければ、じゃあ上場辞めようかとか、合同会社でいいかとか、そういう話になるので、監査報酬上げるなら監査報酬に見合う経済的メリットがあることを強調しないといけません。

いずれにせよ、監査法人側もクライアントに対する価値というものに向き合わねば、納得感ある監査報酬アップはできないでしょう。

企業会計基準第30号「時価の算定に関する会計基準」の要点

こんにちは、毛糸です。

企業会計基準委員会が「時価の算定に関する会計基準」を公表しました。
>>企業会計基準第30号「時価の算定に関する会計基準」等の公表

この基準により、すでに海外基準では取り入れられている「公正価値ヒエラルキー」が日本でも導入されます。

公正価値ヒエラルキーでは、時価算定の複雑度によって時価を3つのレベルにわけます。

3つのレベルはインプット(時価算定に必要な入力情報)の性質によりわけられます。

ざっくりとしたイメージは以下のとおりです。

  • レベル1:時価が活発な市場で直接観測できるもの
  • レベル2:活発な市場はないが、直接観測できるもの
  • レベル3:時価が直接観測できず何らかの仮定を要するもの

複雑な相対デリバティブなどはレベル3が通常です。

公正価値ヒエラルキーによる時価開示は、米国基準では10年くらい前に既に適用されていますが、当時はかなりの実務負担であったと聞いています。

日本でも時価会計基準の導入にあたっては、海外基準がかなり参考になるでしょう。

国際財務報告基準(IFRS)においてはIFRS第13号「公正価値測定」、米国会計基準においてはAccounting Standards Codification(FASBによる会計基準のコード化体系)のTopic 820「公正価値測定」)が、本基準に対応しています。

時価基準導入にあたって、有価証券の時価としていままで認められてきた、期末前1ヶ月平均価格が使えなくなります。

これは、時価の定義が明確になり、売却により得られる価額、とされたためです。

本基準において時価は以下のように定義されています。

「時価」とは、算定日において市場参加者間で秩序ある取引が行われると想定した場合の、当該取引における資産の売却によって受け取る価格又は負債の移転のために支払う価格をいう。

1ヶ月平均価格はその価格での売却を確約するものではないので、時価とは認められなくなります。

また、時価算定にレベルの概念を導入したことにともない、時価を把握することが極めて困難と認められる有価証券、という概念はもはや存在しなくなることから、基準から削除されます。

時価の範囲を広げたので、何かしら時価はつけられるはずである、ということですね。

金融商品はレベル別の残高を開示する必要があるため、自社の金融資産がどんなインプットを使っているかを把握して、レベル分けをする必要が出てきます。

また、レベル3の金融商品は、期首残高から期末残高への調整表(フロー表)を開示することになります。

適度な忙しさによる生産性向上と、余裕とのバランス

こんにちは、毛糸です。

先日こういったつぶやきをしました。

業務に忙殺されるとクリエイティブな活動がしにくくなる一方で、適度に忙しい状況が生産性を高めるケースもあります。

本記事では、適度な忙しさのもとでの生産性と、余裕と忙しさのバランスの重要性について考えてみたいと思います。

探求には余裕が必要

自分の興味関心を深め、物事にじっくり取り組むためには、心理的・時間的な余裕が必要です。
日々の仕事に追いまくられ、家に帰るころにはくたくた、休日も疲れを癒すので精いっぱいという状況では、何かに腰を据えて向き合い探求するのは難しいです。
知りたいことを学びたい、興味関心を深めたいという思いは人間の根源的な欲求だと思いますが、そういった欲求はあくまで心身の安全が確保されてから満たすべき「高次の欲求」ですから、まずは日常に余裕を持つ必要があります。
人間の体力や精神力には限界がありますから、それらリソースを仕事で完全消費してしまうと、学ぶ意欲というのは持ちにくいです。
【参考記事】

忙しさがもたらす生産性向上のメリット

探求には余裕が必要、とは言っても、何も制限のない完全な自由の中では、人はどうしても怠けてしまいます。
課題が与えられそれをこなすのに精一杯になっているときに「時間ができたらこれをやろう」と心に決めたにもかかわらず、いざ時間ができてみると当時の熱意はどこへやら、暇を持て余してしまったという経験はないでしょうか。
人は忙しさの中では、忙しさから解放された時のことをあれこれ夢想しますが、実際に自由な時間が与えられたときにその時間を有効利用できるかは、別問題であるように思います。
個人的な経験ですが、忙しい時にも良いアイデアは浮かぶもので、忙しい合間を縫ってアイデアを深堀りしているときのほうが、充実感・達成感を味わえるような気がします。

忙しいときに自分の好きなことをしようと思ったら、当然ながらそのための時間を捻出しなくてはなりません。

そうなると必然的に、自分に与えられた課題を可能な限り効率化させ、時間あたりのタスク消化量を高める(=生産性を上げる)ことになります。

冒頭で述べた「多少忙しいほうが生産性が上がる」というのはこのことで、忙しさの中で自分のやりたいことをやるための副次効果として、生産性が上がるということです。

余裕と忙しさのバランス

探求には余裕が必要な一方で、忙しさは生産性を上げます。
余裕と忙しさのトレードオフを、どの水準に落ち着かせるべきかというのは、難しい問題です。
手に入れた余裕のうち、それを探求に振り向けられる比率は人によって異なりますし、忙しさから来るストレスの度合いにも個人差がありますから、「このバランスがベスト!」という正解はないのでしょう。
しかし、常に探求を志向しながら、何度か余裕と繁忙を繰り返すことで、自分がもっとも生産的にかつストレスなく物事に取り組める負荷感がつかめてくるはずです。
私の場合は、年に2度ある繁忙期のなかで、標準作業時間が1日の労働時間以内に収まっているような「ヒマではないけど忙しくもない」タイミングが、もっとも生産性が高いと感じています。
繁忙期ど真ん中では好きな勉強をすることもままなりませんし、逆にプロジェクト明けの閑散期にはだらけてしまいます。
自分の最適な負荷感がわかれば、あとは日常生活を可能な限りその最適負荷の状態にキープすることを考えればよいわけです。
繁忙期には可能な限り業務を減らし、閑散期には自ら仕事を開拓し課題を見つけるなどして、最適負荷の環境を自分で作ることができれば、常に高い生産性と充実感を得ることができるでしょう。

【参考記事】

まとめ

探求には余裕が必要ですが、忙しさによる生産性向上というメリットもあります。
余裕と繁忙の最適なバランスを見つけられれば、その水準から外れないように業務量をコントロールすることで、常に高いパフォーマンスを発揮できます。
自分を知り、自分を管理することが大切です。

SNSでの「発信」で得られた3つの効用

こんにちは、毛糸です。

先日こういった呟きをしました。

私はSNSで日頃勉強したことや、その時どきに興味を持っていることについて、積極的に発信するようにしています。

その目的は、知識獲得の嬉しさをうちに秘めたままでいられないからであったり、自分の気付きや発見を他の人にも知ってほしかったりというものですが、その他にも発信することで得られたいろいろな「いいこと」があります。

本記事ではSNSでの発信で得られた3つの効用についてまとめたいと思います。

発信の効用1:さらなるインプット・追加情報

テキストを読を読んだり、動画を見たりして、なにかを勉強したとき、それを噛み砕いてSNSで発信すると、その道の専門家や、自分より詳しいフォロワーから、リプライが来ることがあります。
その分野に関してはこんな研究が進んでいるよ、とか、このテキストには更に詳しい内容が載っているよ、といった追加的な情報が、思いもよらぬところからもたらされることが多々あります。
自分の理解が間違っていた場合にも、発信することで誤りが発覚し、修正してもらえることもあります。
このように、SNSで学びを発信することで、さらなるインプットや、自分だけでは得られなかったであろう追加的な情報に触れられるようになります。
SNSでの発信はインプットの終着点ではなく、さらなるインプットの着火剤にもなるということです。

発信の効用2:同志・仲間

自分の学びを発信することで、自分がどんなことに興味を持っているかについて、フォロワーに知ってもらうことが出来ます。
ときには、同じタイミングで同じような勉強をしている人と意気投合することもあり、実際に私はそういった方々と勉強会を開催するようにもなりました。
同じ言葉を使い、同じ分野で探求をしている人と交流するのは、とても楽しいものです。
もちろん人それぞれ目指すところは異なっていますが、そのことが同じ分野における多様性につながっており、探求のモチベーションになります。
ひとりで勉強するのはときに孤独感に苛まれますが、SNSで発信することにより仲間が見つかれば「1人だけど独りじゃない」という名状しがたい安心感が得られます。

発信の効用3:信頼・信用

SNSでの発信が正確で役立つものであるなら、発信は信頼や信用に繋がります。
自分がテキストや指導者から教わった内容を、自分の中で消化しておしまいにしてしまえば、自分の学びがどこかに活かされるのは、暫く先になってしまいます。
しかし、学びを反芻し「発信」につなげることで、それは情報としての「価値」を生み、誰かの役に立ちます。
継続的な発信は、情報発信者としての信用を醸成し、それは人脈形成や種々の手助けという形で自分に返ってきます。
昨今、発信による価値提供を全面に押し出しインフルエンサーを目指す動きが見られますが、そうしたアグレッシブな発信でなくとも、自分の学びを他者と共有できる形で発信することによって、知らず知らずのうちに信頼は形成されていくものなのだろうと思います。

まとめ

私がSNSでの発信を通じて得た3つの「良いこと」について述べました。
もちろんこれらは「結果として」得られたものであり、これらを「期待して」発信することが果たして楽しいのかというのは、個々人の価値観次第です。
しかし、学びを消費で終わらせず、発信につなげることで生まれる価値というのはたしかにあり、それはきっと発信者である自分に返ってきます。
私はこれからも、学びを発信し続けます。

探求には、心理的・時間的な余裕が必要、という話。

こんにちは、毛糸です。

先日こういった呟きをしました。

今回は、探求の必要条件としての余裕について考えてみたいと思います。

勉強のやる気はどうやったら湧いてくるのか

勉強することを苦痛に感じる人は少なくありません。

小中高校の勉強に嫌気が差した人はたくさんいるでしょうし、大学に入ってからも勉強せずに遊ぶ人はたくさんいます。

「若いときは遊べ」と忠告する社会人の多くも、根底には勉強が楽しくないものであるという考えがあるような気がします。

しかし、楽しくない勉強も、様々な理由でやらざるを得ない状況というのがあります。

テストがあるとか、資格を取らなければならないとかで、強制的にでも勉強しなければならない状況というのは、なかなか避けては通れません。

勉強のやる気を高める方法にはいろいろありますが、私が実践しているのは、

とりあえず手を付けてみることから始める

ということです。

人間の脳は刺激を受けて活性化するそうなので、勉強のやる気を出す最も良い方法は、勉強に向かう刺激を与えることです。

そのためにはまず、どんな些細なことでもいいので、勉強に手を付けると、勢いが付きます。

そもそも勉強は苦しいものなのか?

私は大学を出て、大学院に進学し、社会人になってからも勉強を続けています。

勉強というのは、数学の証明を追うことであったり、金融工学の成果をプログラミングするであったり、投資に役立つ情報を収集するであったりと、色々です。

先述の通り、世の中には勉強を強制される状況が多いとはいえ、私自身は勉強を誰かに強要されることなく、自発的に取り組んでいます。

私にとって勉強は、自分の興味を探求し、自身の知識の幅を広げる、とても創造的で楽しい行為です。

探求する意欲というのは、誰しもが持っていることです。

机に向かう「ベンキョウ」が、勉強のすべてではありません。

学び、探求することは、決して苦しいものではなく、自発的興味からくる創造的な営みです。

探求の必要条件としての余裕

自発的に興味を持ち探求する勉強は、誰しもが楽しめる可能性を持っています。

しかし、その探求としての勉強には、必要な条件があります。

それは心理的・時間的に余裕がある、ということです。

いくら興味関心を持っていたとしても、仕事で嫌なことがあったり、夜遅くまで残業してへとへとになったりしていれば、探求に没頭することはできないでしょう。

自分のスキルを伸ばすために資格を取ろうと思っても、仕事に忙殺されては十分な時間も取れません。

いくら勉強が楽しいものであっても、楽しむための心理的余裕や、勉強のために確保する時間的余裕がなければ、興味関心を深めることが出来ません。

これは個々人の性格の問題ではなく、人間の活動キャパシティの限界によるものです。

もし、勉強したいこと、取り組みたいことがあるのに、疲れていつもくたくただと言う人は、自分の今の時間の使い方を見直して見る必要があるかもしれません。

自分の心に芽生えた貴重な探究心を、キャパシティのせいで諦めるのはとてももったいないことのように思います。

学びたいという気持ちを行動に繋げられるように、日々の時間の使い方をデザインするといいでしょう。

強制的に勉強の習慣をつける、というのも一つの方法です。

私は友人と協力して、月に一度勉強会を開催しています。

自分と同じような志を持つ人と同じ時間を共有することで、心理的・時間的余裕を強制的に確保する試みです。

こうした機会を利用するのも、いい方法だと思います。

まとめ

勉強のやる気は、勉強することで沸き起こります。

そもそも勉強は苦しいものではなく、自発的に興味関心を深めたいという気持ちがある場合、勉強は大変有意義で楽しいものになります。

しかし、そういった探究心を行動に移すには、心理的・時間的余裕が必要です。

もし取り組みたいことがあるのに時間が確保できないなら、時間の使い方を反省してみるべきかもしれません。

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